和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

またたく間に。

2009-12-22 | 短文紹介
昨日は、暮れで何か読み残した本があるのじゃないかと、本の注文をあれこれと思い描いておりました。どれを注文しようか、金額はどうか。というような何とも情けない、あれこれに時間を費やしてしまった一日でした。
夜は夜で、少ない年賀はがきの宛名書き。ちょっと一行ほどを手書きでコメントを入れようとすると、これがまたたいへん。ぶっきらぼうな言葉使いが、目上の方にそのままに出てしまい。書き終わってから、この葉書を没にしようかと悩んだり。いいや、いいやと書き足して誤魔化したり。それで時間は過ぎます(笑)。

さてっと外山滋比古著「知的創造のヒント」に
「あえて読みさす」という章があります。

「リーヴァス、リチャーズ、エンプソンに出遭ってから数年は何も書かないでぼんやりしていた。別になまけていたわけではないが、まとまったことは何もできないし、書いたものもないから、ほかからは遊んでいるように見えてもしかたがない。
はじめのところを少しのぞいただけの、リチャーズとエンプソンのことがしきりと気になる。しかし、読めば一生その虜になってしまいそうである。いくら何でもそれは困る。あの先がどうなっているか、読めばわかるが、読まないで、自分なりの見当をつけるとすればどうなるか。そんなことも考えた。幸い、その先を知らないのだから、勝手なことが想像できる。その空想は自分の考えであって借りものではないはずだ。リチャーズとエンプソンは先生だが、はじめの手引きだけしてもらって、あとはひとりで考えることにしよう。その独り歩きがなかなか思うようにいかなくて意外に時間を食う。数年はまたたく間に過ぎた。
七、八年経ったころから、ぽつぽつ自分の考えが形をとるようになり出した。そうなるとたいして時間はとらないもので、一年くらいのうちに、一連の試論をまとめることができたから、それを一冊にして、最初の本を出した。・・・・」


こういう方が、学生の卒業論文について「思考の整理学」を書いたのですから。
それだけでも、学生は「思考の整理学」を読み直す必要がありますよね。
私の興味は、「読まないで」「数年はまたたく間に過ぎた」という箇所でした。
この感じが、外山滋比古氏の本には、味わいとしてある。
何度も、餅を搗いて、こねるような味わいがあり、
同じテーマであっても、さまざまな可能性を引き出してくるような文章さばき。
同じエピソードを使っても、視点を変えては、伸ばして拡げる余裕がある。
ということで、外山滋比古氏の新刊を買うかどうか。古本では、どんな本を注文しようか。などと、つまらないことで時間を費やしたのが、昨日の一日でした。
コメント
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