今年は、外山滋比古著「思考の整理学」を読んで、あらためて外山氏の著作を読んでみようと思ったわけです。さて、けっこうエッセイとかを書かれておられる。よく読んでいないので、さて、どれを買ってよいものやら、迷います。
たとえば、「『読み』の整理学」というのは、「読書の方法」の解題。
「ことばのある暮し」(中公文庫)は「読み書き話す」(日本書籍)を文庫にするにあたって「書名を改め、内容の一部に手を加えた」とあります。
う~ん。「読み書き話す」といえば、この前の新聞の曽野さんの「読み書きしゃべる」を思い浮かべます。ところで、本にはカバーに著者紹介があったり、初版第何版とか書かれているページ上に著者略歴とかが短く書かれてあったりします。その短文に「著書に・・などがある」として数冊の本の題名が記されております。ここで編集者がどの本を選んでいるか。ちょっと面白く見比べております。むろん同じ出版社のものを取り上げるのが通常でしょうが、そうとばかりは限らないところが面白い。本を購入する参考となります。
外山氏のように、エッセイ本が多いので、案外、その本の中の著者紹介・略歴のところに載って選ばれている本を基準にするといいのだと、今回遅ればせながら思ったしだいです。う~ん。それにしても、私は古本でも購入するのを選んでいたり、探していたりする時というのは、本を読まない。たいてい本を読んでいても、途中に興味深い参考文献が載っていたりすると、その本を中途でやめてしまったりする。どうも、それが目にあまる。こりゃ、来年の課題です。
え~と。ついでに
外山滋比古著「ことばの作法」(ダイヤモンド社)に「国語と日本語」という文あり。
そこをひろげたら
「教育はまた実体のはっきりしない抽象語をハンランさせる傾向が強いから、人々は現実そのものよりもことばを怖れるようになる。それで空虚な表現上のごまかしをして、【建前】をつくろうことが流行する」(p139)
また、印象深かった箇所として
「ことばを気にする人がたしかにふえている。
戦後ずっと、乱れた、乱れたと言われつづけてきた日本語だが、現代はおどろくほどことばにやかましい。これまでこれほどことばに神経質になった時代はなかったのではあるまいか。実体は二の次にして、ことばや名称にこだわる。」
本を読み終わらないうちから、次の本を考え始めているのも「実体は二の次にして」ということでしょうか。
たとえば、「『読み』の整理学」というのは、「読書の方法」の解題。
「ことばのある暮し」(中公文庫)は「読み書き話す」(日本書籍)を文庫にするにあたって「書名を改め、内容の一部に手を加えた」とあります。
う~ん。「読み書き話す」といえば、この前の新聞の曽野さんの「読み書きしゃべる」を思い浮かべます。ところで、本にはカバーに著者紹介があったり、初版第何版とか書かれているページ上に著者略歴とかが短く書かれてあったりします。その短文に「著書に・・などがある」として数冊の本の題名が記されております。ここで編集者がどの本を選んでいるか。ちょっと面白く見比べております。むろん同じ出版社のものを取り上げるのが通常でしょうが、そうとばかりは限らないところが面白い。本を購入する参考となります。
外山氏のように、エッセイ本が多いので、案外、その本の中の著者紹介・略歴のところに載って選ばれている本を基準にするといいのだと、今回遅ればせながら思ったしだいです。う~ん。それにしても、私は古本でも購入するのを選んでいたり、探していたりする時というのは、本を読まない。たいてい本を読んでいても、途中に興味深い参考文献が載っていたりすると、その本を中途でやめてしまったりする。どうも、それが目にあまる。こりゃ、来年の課題です。
え~と。ついでに
外山滋比古著「ことばの作法」(ダイヤモンド社)に「国語と日本語」という文あり。
そこをひろげたら
「教育はまた実体のはっきりしない抽象語をハンランさせる傾向が強いから、人々は現実そのものよりもことばを怖れるようになる。それで空虚な表現上のごまかしをして、【建前】をつくろうことが流行する」(p139)
また、印象深かった箇所として
「ことばを気にする人がたしかにふえている。
戦後ずっと、乱れた、乱れたと言われつづけてきた日本語だが、現代はおどろくほどことばにやかましい。これまでこれほどことばに神経質になった時代はなかったのではあるまいか。実体は二の次にして、ことばや名称にこだわる。」
本を読み終わらないうちから、次の本を考え始めているのも「実体は二の次にして」ということでしょうか。