和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

漢詩の豊か。

2011-02-26 | 詩歌
場当たり読書をしていると、ふいに、それがつながるときがあったりして、よろこびを感じるのでした。

たとえば、橘曙覧と漢詩というテーマなどは、ぞくぞくします。
山口仲美著「日本語の古典」(岩波新書)で古典ということを思い。
平凡社「漢詩を読む」1・2で、漢詩のことを思い。
一海知義著「史記」(平凡社ライブラリー)で、史記へと興味がひろがり。
さて、それでは日本の古典である橘曙覧と漢詩がつながっていれば、
これはこれで、読書の彷徨には、もってこい。好都合です。
それがつながっていれば、こそ再読のたのしみが増えるというもの。

ありました。ありました。
その補助線となる言葉。

窪田空穂全集10巻「古典文学論Ⅱ」の橘曙覧に関する箇所でした。
以下その引用。

「『橘曙覧全集』の中には、彼の随筆も収めてある。分量としては多くはないが、内容としては貧しいものではない。その中の歌話の一則に、歌をして漢詩に劣らない物にしなくてはならないといふことを、熱意をもつて言つてゐるものがある。彼のそれを言つてゐるのは、漢詩にはさまざまの風体があつて、内容も複雑であるが、歌は単調で、変化がない。内容も単純に過ぎると、嘆息をもつて言つてゐるのである。事実、彼の歌には、漢詩の影響が濃厚で、これは新古今などの比ではない。そしてその傾向は、晩年になる程その度を高めて来てゐる。明治時代となつても、その初期においては、漢詩と和歌とは社会的地位は比較にはならなかつた。無論漢詩の方が遥かに高いものと思はれてゐた。まして徳川時代にあつては、その差は一層に甚しく、殊に地方にあつては更に甚しいものであつたであらう。それに困つたことには、彼自身もその性分として、漢詩の面白みは十分に理解してゐたものと思はれる。しかし結局、彼は何よりも歌が好きであつたので、歌をもつて漢詩に打克ち得るもの、よりよき物としなければ虫が納まらなかつたと見える。それには積極的に、敵の武器を奪つて我が武器とし、それを揮つて敵を倒すより外には法はない。彼はそれをしたのである。万葉の強さ、新古今の複雑さも、思ふに彼の此の一念によつて捉へられたものではないかとも思はれる。
人に対しては思ひ切つて我儘だつた彼は、芸術的にも同じく主我的であつて、他のあらゆる美を面白いとは思ふものの、そのいづれにも屈服することが出来ず、その総てを我が部分として、それを踏み、その上に立たなければ承知が出来なかつたものと思はれる。」(p432~433)



うん、この言葉によって、「日本の古典」と「橘曙覧」と「漢詩」。さらには「史記」への眺望がひろがる高台に立てた。そういう気分です。
これで、一貫した流れとして、本を読めれば、これまた楽しみ(笑)。
コメント
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