和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

あこがれの地熱は。

2011-02-14 | 詩歌
堀口大學の詩「お目あて」に

   ―― 現代詩?

   ―― 小さい! 小さい!
      僕の狙いは
      永遠の詩ですよ


というのが、あります。
永遠。
せめて、現代よりも古典のほうが、永遠にすこし近いかも。

山口仲美の「日本語の古典」をパラパラめくって、
手ごたえがあったので、同じ岩波新書の
山口仲美著「日本語の歴史」を古本で注文。
まあ、それはそれとして、
「日本語の古典」のプロローグはこう始まります。


「日本の古典は、今や瀕死状態。
現代人にほとんど顧みられない状況をみると、
『もったいない』という気持ちが
むくむくとわきあがってきます。
自分たちの祖先の培ってきたさまざまな英知を
なぜ現代人は学び、吸収しようとしないのか?
過去から学ぶ物は何もないと思えるほど、
私たちは優れているのか?
・・・・・・・・・・・・・・」

う~ん。永遠などいらない時代なのでしょうか。
そういえば、田辺聖子著「古典の文箱」(世界文化社)
のあとがきで

「古い遠祖たちの心を受け継ぐ、というのは、
かたちにあらわすと古典を愛し尊び、親昵する、
というのもその一つではなかろうか。
現代の若者には古典アレルギーが多い。
漢字制限が行なわれ、
漢文学教養がなおざりにされてゆく当節の学校教育だから、
古典にも、うとうとしくなってゆくのは当然かもしれない
・・・・・・・
そして私の感触でいえば、人々の古典へのあこがれの地熱は、
想像以上に熱いものがあるようだ。
ほんの少しの手引き、あと押しがあれば。
・・・古典はまだこの国の人々の心から消えていないと、
信ずるに足る証拠を、私は得た。
人の心が古典を愛することで柔らかく(なめ)されれば、
日本の四季や自然の風物の、愛すべく貴(たつと)むべきを
知るようにもなるはず。」(平成11(1999)年卯月)


「あこがれの地熱」を、私もせめてすこしだけでも。
ということで、現代詩はもういいや。
コメント
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