和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

ことわざ話。

2011-02-04 | 詩歌
いつのまにか、日めくりカレンダーが3つ(笑)。
毎日3枚、日をめくる。
もっとも、ときどき、日めくりを怠ったり(笑)。

梅棹忠夫著作集第11巻(中央公論社)をひらいていたら、
そこに『百人百話』という本のこと(p272~273)。
なんでも、梅棹氏が本の監修をしたようです。以下引用

「1976年、株式会社三井銀行は創立100周年をむかえる。それを記念して、『百人百話』と題する出版物を刊行したいという。各界の名士100人に、ことわざがらみで人生観、金銭観をかたらせようというのである。池田弥三郎氏とわたしのふたりが監修者となった。・・」

うれしいのは、ネットで古本を買えること。
気分よく、手元に届きました。さっそくパラパラ。

題名は「ことわざにみる日本人の心と姿 百人百話」。
めくっていると思い浮かぶこと。
そういえば、いろはカルタには、
上方カルタと江戸カルタとがあったなあ。

ふたりの監修者が、ちょうど江戸と上方です。
これは、企画の勝利。上方の人選を
とりあえず列挙してみると、
今西錦司・上田篤・上田正昭・貝塚茂樹(この方は東京生まれ)・加藤秀俊・川喜田二郎・多田道太郎・奈良本辰也・西堀栄三郎・宮地伝三郎などなど、それぞれが見開き二ページで短文を書いているのでした。

ここでは、いつか読んでみたい川喜田二郎氏の文
(じつは、私は「発想法」も読んでおりません)。

題は「人間到るところ青山あり」
はじまりの箇所

「監修者の方から、執筆の参考にと提供された諺の一覧表がある。数えてみると、しめて457。そこで私は、半ば茶目っ気から、半ばまじめに、次のような作業をした。それは、この夥しい諺の中から、私が食欲を覚えるものをどうしぼって見いだせばよいか、その作業なのである。・・・」

なかばほどには、

「かつて軍隊に初年兵で入ったとき、消灯ラッパと共に冷たい寝床で瞼に浮んできたのは大興安嶺だった。また、ヒマラヤ第二回目の探検行の後、その当時の行を共にした仲間は、『もう一度あそこへ帰りたい』と、よく語りあったものだ。『行きたい』とは形容しなかった。大興安嶺もそのヒマラヤ奥地も、行くまでは全く未知の異郷だったのである。ところが、そのどちらもが極めて充実した旅であり、そこで私たちは、すばらしい何かを摑んだのだった。いわば創造的な達成体験を持ったのである。そうしたら、その異郷が第二の故郷になってしまったというわけ。」

文章の最後は、

「うまく達成するために、私はどんな諺を使っていたのだろうと図解をよく見ると、次のことが判明した。まず必要なのは、強烈な悲願を持つことだ。優れたアイディアを抱き準備する。『蒔かぬ種は生えぬ』。そしてケチくさくない夢を抱く。『棒ほど願って針ほど叶う』わけだ。他方、逆境を恐れないこと。『雨降って地固まる』、それに『災いを変じて福となす』悲願と逆境の思想を踏まえて、『石の上にも三年』静かなること林のごとく。その代わり、動けば果敢に火の如く水の如く・・・・。どうやらこのあたりで、一覧表では足らず武田信玄も必要になる。
そして最後は楽天家の勝利らしい。『寝る子は育つ』、そして『笑う門には福きたる』。どうも諺とはなかなかよいものだと思えてきた。ここでいいたいことを諺なしで述べようと思ったら、多分千万言必要だったろう。」(p108~109)


ちなみに梅棹忠夫氏は、諺についての本文を書いておりません。
でも、「監修をおえて」からの梅棹氏の言葉を引用。

「・・いただいた原稿を拝見して、さすがにみごとなものと感心した。わたしなどより、はるかにみごとにこの企画にのっておられる。どういうことになるかと心配していたのに、みなさん、はじめからこの企画をしって、まちかまえておられたのではないか。おかげで、たいへんおもしろい本ができあがったとよろこんでいる。現代世相史の一資料として、後世の人たちにも利用してもらえそうである。・・・・」


なんとなく、「後世」とは、今じゃないかと思う。
ことわざに興味ある方に、お薦め。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする