平凡社新刊。
鼎談本「『史記』と日本人」を読みました。
この鼎談、きちんと「史記」を料理してゆくわけでもなく。
たとえてみれば、「史記」というまな板の上で、様々な材料をもちよって、3人ワイワイと調理をはじめる。そんな1冊。全310ページ。その料理を順番に食べてゆけば、満腹で、一回ではとても読みとおせなくなります(笑)。
まずは、好きそうな所をめがけて拾い食いがお薦め。
べつに、3人ともが読者をはなから楽しませようなどと、思ってなどいないようで。近頃珍しく、ご自分が楽しくて楽しくてならないという語り。ですから、最後までつきあえば、あらためて3人の愉しみに飲み込まれる感があります。
さてっと、
カバー折返しの3人紹介は写真入り。80代が2人、安野光雅(1926年生れ)半藤一利(1930年)。60代が1人、中村愿(すなお)・1947年)。ちと考えてみればわかるのですが、安野さんも半藤さんも司馬遼太郎氏の謦咳(けいがい)に接しておられた。ですから余談へとかわる、その呼吸は、司馬さん直伝(うん、免許皆伝とまではいかないのでしょうが)。聞いてると浮んでくるのは、草原で焚火にあたりながら座談に打ち興じてでもいるような雰囲気。
それにしても、鼎談は、『史記』から「遊侠列伝」「刺客列伝」「酷吏列伝」といろいろ。
中村】 こういう項目を作っただけでも、司馬遷の透徹した世界観を感じます(p151)
こういうところの、本文の流れを紹介してしまうと、もったいない(笑)。
ここでは、司馬さんについて触れた箇所をすこし引用。
半藤】 旅といえば、司馬遷と同じ紀元前、西洋で『歴史』を書いたギリシャのヘロドトスがいますが、各地を旅して歴史を書いたという点では似ていても、『史記』とは全然違いますね。なかなかすごい本ですが、とにかく雑談が多い、枝葉に大変な情熱を傾けるんです。どこそこの産物はどうの、地形はどうのと。ああいった書き方は、もしかしたら司馬遼太郎さんが真似したかもしれない、『余談ながら・・』とよくやるでしょ(笑)。
安野】 以下、無用のことながら、とか(笑)
中村】 司馬遼太郎というペンネームは、司馬遷にちなんだんですよね。
半藤】 『司馬遷にはるか(遼)に及ばない』と。
安野】 『凌駕する』の『凌(りょう)』だと言う人もいるから世の中はやりにくいですよ(笑)
半藤】 それにしても司馬遷はおそらく宮刑に遭ってから文章が速くなりましたね。余計なことを書いている時間が自分には残されていないから枝葉は捨てた、そんな気がします。(p60)
私などは、最年長の安野光雅氏の語り口が、本文を通じて、鮮やかな飛行機雲のようなスジを残るのでした。そうそう、その安野さんのあとがき・「金もいらなきゃ名もいらぬ」の、この言葉も最後に引用しておかなきゃ。
「編集の山本明子女史は、わたしよりはるかに深く史記に精通していた。つねに控えめだったがこの人のおかげで本ができた。このたびの談義はいつまでも続けたいほど心豊かな時間であった。わたしとしての史記はまだ勉強の途中なのに、おかげで得がたい時をすごせたことを有難く思っている。」(p297)
それでは、「いつまでも続けたいほど心豊かな時間」というが
どのような鼎談だったのか。もちろん、読んでのお楽しみであります(笑)。
鼎談本「『史記』と日本人」を読みました。
この鼎談、きちんと「史記」を料理してゆくわけでもなく。
たとえてみれば、「史記」というまな板の上で、様々な材料をもちよって、3人ワイワイと調理をはじめる。そんな1冊。全310ページ。その料理を順番に食べてゆけば、満腹で、一回ではとても読みとおせなくなります(笑)。
まずは、好きそうな所をめがけて拾い食いがお薦め。
べつに、3人ともが読者をはなから楽しませようなどと、思ってなどいないようで。近頃珍しく、ご自分が楽しくて楽しくてならないという語り。ですから、最後までつきあえば、あらためて3人の愉しみに飲み込まれる感があります。
さてっと、
カバー折返しの3人紹介は写真入り。80代が2人、安野光雅(1926年生れ)半藤一利(1930年)。60代が1人、中村愿(すなお)・1947年)。ちと考えてみればわかるのですが、安野さんも半藤さんも司馬遼太郎氏の謦咳(けいがい)に接しておられた。ですから余談へとかわる、その呼吸は、司馬さん直伝(うん、免許皆伝とまではいかないのでしょうが)。聞いてると浮んでくるのは、草原で焚火にあたりながら座談に打ち興じてでもいるような雰囲気。
それにしても、鼎談は、『史記』から「遊侠列伝」「刺客列伝」「酷吏列伝」といろいろ。
中村】 こういう項目を作っただけでも、司馬遷の透徹した世界観を感じます(p151)
こういうところの、本文の流れを紹介してしまうと、もったいない(笑)。
ここでは、司馬さんについて触れた箇所をすこし引用。
半藤】 旅といえば、司馬遷と同じ紀元前、西洋で『歴史』を書いたギリシャのヘロドトスがいますが、各地を旅して歴史を書いたという点では似ていても、『史記』とは全然違いますね。なかなかすごい本ですが、とにかく雑談が多い、枝葉に大変な情熱を傾けるんです。どこそこの産物はどうの、地形はどうのと。ああいった書き方は、もしかしたら司馬遼太郎さんが真似したかもしれない、『余談ながら・・』とよくやるでしょ(笑)。
安野】 以下、無用のことながら、とか(笑)
中村】 司馬遼太郎というペンネームは、司馬遷にちなんだんですよね。
半藤】 『司馬遷にはるか(遼)に及ばない』と。
安野】 『凌駕する』の『凌(りょう)』だと言う人もいるから世の中はやりにくいですよ(笑)
半藤】 それにしても司馬遷はおそらく宮刑に遭ってから文章が速くなりましたね。余計なことを書いている時間が自分には残されていないから枝葉は捨てた、そんな気がします。(p60)
私などは、最年長の安野光雅氏の語り口が、本文を通じて、鮮やかな飛行機雲のようなスジを残るのでした。そうそう、その安野さんのあとがき・「金もいらなきゃ名もいらぬ」の、この言葉も最後に引用しておかなきゃ。
「編集の山本明子女史は、わたしよりはるかに深く史記に精通していた。つねに控えめだったがこの人のおかげで本ができた。このたびの談義はいつまでも続けたいほど心豊かな時間であった。わたしとしての史記はまだ勉強の途中なのに、おかげで得がたい時をすごせたことを有難く思っている。」(p297)
それでは、「いつまでも続けたいほど心豊かな時間」というが
どのような鼎談だったのか。もちろん、読んでのお楽しみであります(笑)。