関容子著「日本の鶯」(岩波現代文庫)に
「詩人には絵のうまい人が多くて、佐藤(春夫)も西脇(順三郎)も、ある時期は画家になろうかと思ったくらいのものでしょう。ボードレールやヴェルレーヌやジャン・コクトーも皆絵が上手だったし、逆に画家のマリー・ローランサンは詩もよくした人です。」(p127)
そういえば、詩人と画家との共通点はなんでしょう。
ということで、この引用。
「ある画家が『絵を描く秘訣は、何を描かないかを知ることだ』と言った。キャンバスの上に、あれもこれもと並べ立てるのではいけない。不要なものを切り捨てて、必要なものだけに絞ることが大事な要領なのだ。
このように仕事というものは『何をするか』よりも、『何をしないか』を決めることのほうが大事な場合が多い。文章を書くときも、実際に書くのは、全部の時間の10分の1であるということを目安に『しないこと』『できないこと』をハッキリ決めていくことが大事である。」(p119板坂元著「発想の智恵表現の智恵」)
詩人も、どちらかといえば言葉を削っていくような気がします。
ところで、平凡社の鼎談「『史記』と日本人」では、私は安野光雅さんの語りが印象にのこっております。ここでは安野光雅さんの画家の着眼点ということで鼎談からひろっておきます。
「修身はすべてを兼ねるんです。思い出すのは、修身の教科書に、紋付袴を着て山高帽を被った男と、行き倒れみたいに地べたに寝そべっている男の絵が描いてあったんです。昔、二人は同級生だったけれど、勉強をした人はこうなって、しなかった人はこうなる、という話で、『勉強をしましょう』という教訓となる。・・・司馬遼太郎さんにその話をしたら、『バカなことを言っちゃいけない、津和野みたいに教育熱心な土地ならともかく、大阪では決してそういうことは教えない』『と言うんです。でもあの頃は国定教科書だから、皆がそのはずだと反論したんだけど、実際問題としてはまあ司馬さんの言うほうがたぶん正しくて、論争すれば負けてしまう。・・・それで自信を失ったんだけど、私は挿絵を覚えていて、間違いなくあったと信じていました。それをただ一人信用してくれた弟が『よし、そんなに言われたのなら調べてくる』と教科書図書館へ行って調べたら、小学二年の修身の教科書に載っていたんです。』(p163~164)
おっと、脱線してゆくなあ。
つぎ引用
「マッターホルンに最初に登ったウィンパーという男がいて、自慢じゃないけど絵描きなんです(笑)。」(p213)
「現代は世知辛くなってきましたからね。アメリカでターシャ・テューダーという絵を描く女性の家に行ったことがあるのですが、悔しいくらいにきれいな、世界で一番の自然の中に住んでいるような人なんです。立派な家のあちこちに花を植えて、それも西洋庭園のような植え方ではなくて、まったく自然な植え方をしている。絵を描く人なので、『あなたは絵を描いてどうするんですか』と聞いた人がありましてね、すると彼女は答えたんです、『お金を儲けるのよ』(笑)。絵を描いて金を儲けると言ったのは、私とあの人ぐらいですよ。」(p114)
「余談になりますが、肖像画というのは通念として、写真がない場合、本人が生きていた時代のもっとも古いものが一番似ているという前提に立つほかないですね。いつも思うのは、それがどんどん古くなると、当てにならないのですが、似ていようがいまいが、ともかく一番古いものが原典で、あとはその真似をしているとしか言いようがない。」(p269)
ほかに彫刻家の佐藤忠良さんの話(p182・p235)とか、
「史記」の話でも、全身で語る安野光雅氏にとっては、しぜんと絵の話への言及があるのでした。それにしても、この鼎談で、安野さんの語りは鮮やかな余韻が残り、それはまるで、絵を観たような印象に近いのかもしれないなあ。などと思ってみたりするのでした。
「詩人には絵のうまい人が多くて、佐藤(春夫)も西脇(順三郎)も、ある時期は画家になろうかと思ったくらいのものでしょう。ボードレールやヴェルレーヌやジャン・コクトーも皆絵が上手だったし、逆に画家のマリー・ローランサンは詩もよくした人です。」(p127)
そういえば、詩人と画家との共通点はなんでしょう。
ということで、この引用。
「ある画家が『絵を描く秘訣は、何を描かないかを知ることだ』と言った。キャンバスの上に、あれもこれもと並べ立てるのではいけない。不要なものを切り捨てて、必要なものだけに絞ることが大事な要領なのだ。
このように仕事というものは『何をするか』よりも、『何をしないか』を決めることのほうが大事な場合が多い。文章を書くときも、実際に書くのは、全部の時間の10分の1であるということを目安に『しないこと』『できないこと』をハッキリ決めていくことが大事である。」(p119板坂元著「発想の智恵表現の智恵」)
詩人も、どちらかといえば言葉を削っていくような気がします。
ところで、平凡社の鼎談「『史記』と日本人」では、私は安野光雅さんの語りが印象にのこっております。ここでは安野光雅さんの画家の着眼点ということで鼎談からひろっておきます。
「修身はすべてを兼ねるんです。思い出すのは、修身の教科書に、紋付袴を着て山高帽を被った男と、行き倒れみたいに地べたに寝そべっている男の絵が描いてあったんです。昔、二人は同級生だったけれど、勉強をした人はこうなって、しなかった人はこうなる、という話で、『勉強をしましょう』という教訓となる。・・・司馬遼太郎さんにその話をしたら、『バカなことを言っちゃいけない、津和野みたいに教育熱心な土地ならともかく、大阪では決してそういうことは教えない』『と言うんです。でもあの頃は国定教科書だから、皆がそのはずだと反論したんだけど、実際問題としてはまあ司馬さんの言うほうがたぶん正しくて、論争すれば負けてしまう。・・・それで自信を失ったんだけど、私は挿絵を覚えていて、間違いなくあったと信じていました。それをただ一人信用してくれた弟が『よし、そんなに言われたのなら調べてくる』と教科書図書館へ行って調べたら、小学二年の修身の教科書に載っていたんです。』(p163~164)
おっと、脱線してゆくなあ。
つぎ引用
「マッターホルンに最初に登ったウィンパーという男がいて、自慢じゃないけど絵描きなんです(笑)。」(p213)
「現代は世知辛くなってきましたからね。アメリカでターシャ・テューダーという絵を描く女性の家に行ったことがあるのですが、悔しいくらいにきれいな、世界で一番の自然の中に住んでいるような人なんです。立派な家のあちこちに花を植えて、それも西洋庭園のような植え方ではなくて、まったく自然な植え方をしている。絵を描く人なので、『あなたは絵を描いてどうするんですか』と聞いた人がありましてね、すると彼女は答えたんです、『お金を儲けるのよ』(笑)。絵を描いて金を儲けると言ったのは、私とあの人ぐらいですよ。」(p114)
「余談になりますが、肖像画というのは通念として、写真がない場合、本人が生きていた時代のもっとも古いものが一番似ているという前提に立つほかないですね。いつも思うのは、それがどんどん古くなると、当てにならないのですが、似ていようがいまいが、ともかく一番古いものが原典で、あとはその真似をしているとしか言いようがない。」(p269)
ほかに彫刻家の佐藤忠良さんの話(p182・p235)とか、
「史記」の話でも、全身で語る安野光雅氏にとっては、しぜんと絵の話への言及があるのでした。それにしても、この鼎談で、安野さんの語りは鮮やかな余韻が残り、それはまるで、絵を観たような印象に近いのかもしれないなあ。などと思ってみたりするのでした。