和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

極意にかぶれる。

2011-02-23 | 地域
2011年元旦の読売新聞に
内田樹が「能楽 中世への浮遊」という文が掲載されておりました。
1ページの上半分が「翁」の稽古風景。
下半分の3分の1の内田氏の文、その下はシネマの広告。
まあ、そのくらいの文なのですが、ちょいと引用。

「・・・武道を長く稽古しているうちに、武道的な身体運用を日常動作で行っていたはずの中世の日本人がどんなふうに身体を使っていたのか、それが知りたくて能楽を学ぶことにしたのである。遠い昔の人の身体の使い方を学ぶのは外国語を学ぶことに似ている。外国語を学ぶためには、自分のものとは違う世界像の中に身を置き、違う度量衡で価値を考量し、違う美意識に基づいて風景や人事を記述しなければならない。そこに見えるのは、私たちが見知った世界とは違う世界である。・・・」

ふ~ん。
というので、筑摩選書の内田樹著「武道的思考」を買ったのでした。
すると、「まえがき」に
「・・・武道論をまとめるのはこれで二度目で、前に『私の身体は頭がいい』(2003年新曜社/2007年文春文庫)という本を上梓しています。本書はそれ以後に書かれたものを中心に・・・」とあります。

それじゃあ。
というので「武道的思考」を読むのはヤメにして、
というか、まだ読まずに(笑)。
古本屋へと「私の身体は頭がいい」を注文。
まあ、その古本を今日パラパラとひらいたわけです。
うん。読んでなくて、ただひらいただけ。
たとえば、
「木人花鳥 武道的身体論」は、こうはじまっておりました。



「武道の修行者はあまり伝書の類を読まないほうがいい、
と合気道の師である多田宏先生に注意されたことがある。
初心者が伝書を読み耽って、満足に基本の技術も身に付かないうちに悟り澄ましたようなことを揚言するのを、『極意にかぶれる』と言って武道家は嫌うのである。」(新曜社p108)


うん。本を読んで、それを書く
私はいつも『極意にかぶれる』者でござる。
きっと、毎日ブログを更新していると、
それすら忘れるのだろうなあ。
そういえば、昨年など、それを思うと、
毎日更新が阻まれたのでした。
うん。今年は、そうは考えないようにしよう。

ちなみに、古本の内田樹著「私の身体は頭がいい」(新曜社)は
京都の竹岡書店で購入。
線引き本で500円。プラス送料290円。
コメント
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