ということで、内田樹著「私の身体は頭がいい」(新曜社)を読みました。
内田氏の本は1冊だけしか読んでなかったのです。
それが「私家版・ユダヤ文化論」(文春新書)。
たしか雑誌に掲載されている時に拾い読みしていたと思います。
なんだか、魚がスイスイ岩を避けて泳いでいるようすを思い浮かべました。ちかごろ、こういう視点の書きぶりにお目に掛ったことがないので、そのときはあ然。いまは、こういう視点が社会から消えてしまったので、需要が高まっているのかもしれませんなあ。などと妙に納得。
さてっと、「私の身体は頭がいい」から、楽しい箇所を列挙。
「私には人に優れた身体能力もないし、不屈のガッツもない。運動神経はゼロだし、なにより人と勝ち負けを争うことが大嫌いである。」(p15)
とご自身の紹介。
ここは、最初の文「武運の人」ですから、もうすこし引用を重ねましょう。
「子どものころから武道に憧れていた。・・・」とはじまります。
中頃に
「25歳になったとき、当時下宿のあった自由が丘の街を歩いていて、部屋から五分ほどのところに古びた柔道場があり、そこで『合気道』という武道が教授されていることを知った。空手の稽古をやめて二年ほど何もしていなかったので、とにかくまた道衣が着たくてたまらなくなっていた。もう何でもよかった。だから、合気道の何であるかも知らずに私は迷わず扉を押し開き、多田宏先生(合気道九段・合気会師範・イタリア合気会最高師範)の直弟子となったのである。この出会いは、喩えていえば、初心者がゴルフを始めようと思い立って、とりあえず最寄りの練習場に行ったら、そこではタイガー・ウッズがボランティアでレッスン・プロをしていた、というような状況に近い。」(p15)
この喩えが、一冊を読ませるという、物語のはじまりの語りを思わせられるのでした。その物語については
「ご縁の人・甲野先生」という文に鮮やか。
「甲野先生は人も知る座談の名手である。とくに伝説的武術家の逸話を語るときの間(ま)の巧みさ・・・・ 『こんな話でよかったら、朝までしますよ』と先生は笑われるが、実は、こういう『逸話』を一節通して語るというのは、『ほんとうにたいせつなこと』を教える上で非常に効果的な『教育』方法なのである。ある概念が『何を意味するか』を初学者に教えようとしたら、ただそれを厳密に定義してみたり、別の言葉に言い換えてみても、ほとんど効果がない・・・。ある概念を『持っていない』人間に、その概念を『分からせる』ためには、『お話を一つ』しなければいけない。」(p30)
「いつまでも『消化されない』で身体の奥底にとどまるような『お話』、熟成するまでに長い歳月を要する『お話』が『ほんとうにたいせつなこと』を語るお話なのである。」(p31)
どうりで、本書にある
「非中枢的身体論」「木人花鳥 武道的身体論」という、多少論文的なのは、つまらないなあ。随筆風お話風が生き生き読めました。
そういう中で、「医療に出会う ・・・ナースのミッション」というインタビュー記事が本書に入っているのも、読めば納得の内田流話術なのでした。
また「あとがき」にもある、話術を最後にひとつ。
「稽古に行くために研究を放り出したことは何度もあるが、研究に打ち込んで稽古に行くのを忘れたことは一度もない。」(p210)
内田氏の本は1冊だけしか読んでなかったのです。
それが「私家版・ユダヤ文化論」(文春新書)。
たしか雑誌に掲載されている時に拾い読みしていたと思います。
なんだか、魚がスイスイ岩を避けて泳いでいるようすを思い浮かべました。ちかごろ、こういう視点の書きぶりにお目に掛ったことがないので、そのときはあ然。いまは、こういう視点が社会から消えてしまったので、需要が高まっているのかもしれませんなあ。などと妙に納得。
さてっと、「私の身体は頭がいい」から、楽しい箇所を列挙。
「私には人に優れた身体能力もないし、不屈のガッツもない。運動神経はゼロだし、なにより人と勝ち負けを争うことが大嫌いである。」(p15)
とご自身の紹介。
ここは、最初の文「武運の人」ですから、もうすこし引用を重ねましょう。
「子どものころから武道に憧れていた。・・・」とはじまります。
中頃に
「25歳になったとき、当時下宿のあった自由が丘の街を歩いていて、部屋から五分ほどのところに古びた柔道場があり、そこで『合気道』という武道が教授されていることを知った。空手の稽古をやめて二年ほど何もしていなかったので、とにかくまた道衣が着たくてたまらなくなっていた。もう何でもよかった。だから、合気道の何であるかも知らずに私は迷わず扉を押し開き、多田宏先生(合気道九段・合気会師範・イタリア合気会最高師範)の直弟子となったのである。この出会いは、喩えていえば、初心者がゴルフを始めようと思い立って、とりあえず最寄りの練習場に行ったら、そこではタイガー・ウッズがボランティアでレッスン・プロをしていた、というような状況に近い。」(p15)
この喩えが、一冊を読ませるという、物語のはじまりの語りを思わせられるのでした。その物語については
「ご縁の人・甲野先生」という文に鮮やか。
「甲野先生は人も知る座談の名手である。とくに伝説的武術家の逸話を語るときの間(ま)の巧みさ・・・・ 『こんな話でよかったら、朝までしますよ』と先生は笑われるが、実は、こういう『逸話』を一節通して語るというのは、『ほんとうにたいせつなこと』を教える上で非常に効果的な『教育』方法なのである。ある概念が『何を意味するか』を初学者に教えようとしたら、ただそれを厳密に定義してみたり、別の言葉に言い換えてみても、ほとんど効果がない・・・。ある概念を『持っていない』人間に、その概念を『分からせる』ためには、『お話を一つ』しなければいけない。」(p30)
「いつまでも『消化されない』で身体の奥底にとどまるような『お話』、熟成するまでに長い歳月を要する『お話』が『ほんとうにたいせつなこと』を語るお話なのである。」(p31)
どうりで、本書にある
「非中枢的身体論」「木人花鳥 武道的身体論」という、多少論文的なのは、つまらないなあ。随筆風お話風が生き生き読めました。
そういう中で、「医療に出会う ・・・ナースのミッション」というインタビュー記事が本書に入っているのも、読めば納得の内田流話術なのでした。
また「あとがき」にもある、話術を最後にひとつ。
「稽古に行くために研究を放り出したことは何度もあるが、研究に打ち込んで稽古に行くのを忘れたことは一度もない。」(p210)