和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

ビーナスの両腕。

2011-02-12 | 短文紹介
筒井康隆著「漂流 本から本」(朝日新聞出版)についての鼎談
1月30日朝日新聞(丸谷才一・筒井康隆・大江健三郎)を読みおわって思い浮かんだのは、両腕がないミロのビーナスでした。

丸谷さんの鼎談での言葉に

「本というのは、おのずから他の本を読ませる力があるものなんです。ある本が孤立してあるのではなく、本の世界の中にあるのだから、感動すればごく自然に、他の本に手が出る仕組みになっているんだ。」


そうすると、一冊の本だけを読むというのは、ミロのビーナスじゃないですが、両腕がなくなったような喪失感があるのかもしれないなあ。などと、本を読まないと妙なことを思います。

ミロのビーナスに両腕がないのなら
千手観音は、どうなのだ。
阿修羅は、腕が6本。

「他の本に手が出る仕組み」
いったい、何本の手があればよいのか?

鼎談では丸谷さんが、こうも語っておりました。

「本を読みすぎるのはよくないね。国語学者の大野晋さんは大読書家なのに、『考えるぶんだけ頭を空けておかなくてはならない。だからほどほどにしか読んではいけない』と言っていた。ぼくはそれを聞いて、今日はヒマだから本を読もう、ではなく、ヒマだから考えようとするように努めていますが、考えるのにくたびれてつい読んじゃう(笑)。」

うん。ぼけっと、
ミロのビーナスの両腕のことを考えていると、ついくたびれます。
コメント
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