春の七草は言えても、その草を知らない私は、味気ないですね。
秋の七草といえば、万葉集の山上憶良で、
「秋の野の花を詠める歌二首」があります。
ここでは、まず、その二首をならべてから。
秋の野に 咲きたる花を 指折りて かき数えれば 七種(ななくさ)の花
萩が花 尾花葛花 ナデシコの花 をみなへし 又藤袴 朝顔の花
ちょっと、花では、どんな花かわからずにピントこなかったりします。
最近の毎日歌壇(1月23日)の伊藤一彦選の最初の歌は
げそがんもたまごだいこんたこつみれちくわはんぺん雪はしんしん
名古屋市 可知豊親
また、産経歌壇(2月1日)の小島ゆかり選の2首目は
仲見世の羽子板市の灯に競ふ白鵬阿覧把瑠都魁皇
名古屋市 可知豊親
同じ方が投稿しておりました。
言葉をならべるといえば、大岡信の詩「はる なつ あき ふゆ」。
はじまりは、こうでした。
はるのうみ
あぶらめ めばる
のり わかめ みる
いひだこ さはら さくらだひ
はまぐり あさり さくらがひ
やどかり しほまねき
ひじき もづく いそぎんちゃく
さてっと、
橘曙覧全歌集(岩波文庫)のp161に、こんな一首
山中
樵(きこ)り歌 鳥のさひづり 水の音
ぬれたる小艸(をぐさ) 雲かかるまつ
この文庫の注には
「五つの名詞を聴覚と視覚によってとらえ、各句ごとに景物を据えて並べた。山中ののどかな情景で、俳句的な発想といわれる。」
この一首については、折口信夫が「歌の話」でとりあげておりました。
そちらも引用。
「山中(さんちゅう)という題です。山中目に見、耳に聞こえるものを五とおり並べて、そしてもの静かな山のようすを考えさせようとしたのです。けれどもこれは、和歌ではまず出来ない相談で、おそらくこの人が、こういうふうな思想の表し方をする俳句にも、興味を持っていたから出来たものなのでしょう。どう考えても、この五つの現象が、一つの完全な山のありさまに組み立てて感じられては来ません。・・・・」
ここいらは、意見のわかれるところで、おもしろいなあ。
秋の七草といえば、万葉集の山上憶良で、
「秋の野の花を詠める歌二首」があります。
ここでは、まず、その二首をならべてから。
秋の野に 咲きたる花を 指折りて かき数えれば 七種(ななくさ)の花
萩が花 尾花葛花 ナデシコの花 をみなへし 又藤袴 朝顔の花
ちょっと、花では、どんな花かわからずにピントこなかったりします。
最近の毎日歌壇(1月23日)の伊藤一彦選の最初の歌は
げそがんもたまごだいこんたこつみれちくわはんぺん雪はしんしん
名古屋市 可知豊親
また、産経歌壇(2月1日)の小島ゆかり選の2首目は
仲見世の羽子板市の灯に競ふ白鵬阿覧把瑠都魁皇
名古屋市 可知豊親
同じ方が投稿しておりました。
言葉をならべるといえば、大岡信の詩「はる なつ あき ふゆ」。
はじまりは、こうでした。
はるのうみ
あぶらめ めばる
のり わかめ みる
いひだこ さはら さくらだひ
はまぐり あさり さくらがひ
やどかり しほまねき
ひじき もづく いそぎんちゃく
さてっと、
橘曙覧全歌集(岩波文庫)のp161に、こんな一首
山中
樵(きこ)り歌 鳥のさひづり 水の音
ぬれたる小艸(をぐさ) 雲かかるまつ
この文庫の注には
「五つの名詞を聴覚と視覚によってとらえ、各句ごとに景物を据えて並べた。山中ののどかな情景で、俳句的な発想といわれる。」
この一首については、折口信夫が「歌の話」でとりあげておりました。
そちらも引用。
「山中(さんちゅう)という題です。山中目に見、耳に聞こえるものを五とおり並べて、そしてもの静かな山のようすを考えさせようとしたのです。けれどもこれは、和歌ではまず出来ない相談で、おそらくこの人が、こういうふうな思想の表し方をする俳句にも、興味を持っていたから出来たものなのでしょう。どう考えても、この五つの現象が、一つの完全な山のありさまに組み立てて感じられては来ません。・・・・」
ここいらは、意見のわかれるところで、おもしろいなあ。