和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

理髪店浮世話。

2011-02-10 | 前書・後書。
読売新聞の読売歌壇・俳壇を読みたいので、月曜の週一回購読(笑)。
さてっと、2月7日(月曜日)に「読売文学賞の人びと 4」とあり、
鵜飼哲夫氏が黒岩比佐子さんを紹介しておりました。
ありがたい、読めた。『パンとペン』で評伝・伝記賞。
ちょっと引用。

「『売文は、私にとってすごく身近な言葉でした』。27歳でフリーになった黒岩さんにとって、生活(パン)と書くこと(ペン)の両立は切実だった。40歳になる年に出した初の評伝・・ははじめ3社から出版を断られ、失望したこともあった。」

最後は、こうありました。

「残り少ない日々、家族に語っていた。『宝石とか洋服とか、贅沢なものは何もないよ』。遺されたのは大量の古書と、自分の『子供』と言っていた、命を削って書いた本だ。」


うん。襟を正して、また黒岩比佐子さんの本を読みたいと思わせてくれる紹介文。ところで、関容子著「日本の鶯」(岩波現代文庫)の解説で丸谷才一氏が「篠田鉱造」をとりあげており、気になったので岩波文庫の「幕末明治女百話」・「増補幕末百話」とを古本で注文したのでした。それが届き。尾崎秀樹氏の解説を読んだら、そこにありました。

「篠田鉱造は明治4(1871)年12月6日に東京赤坂に生まれた。号は胡蝶庵。24歳で報知新聞に入り、当時森田思軒に替って新たに編集長となった村井弦斎の指導を受けた。・・」(「幕末百話」解説)

ちなみに、この箇所も引用。

「篠田鉱造は祖父の指示に従って、17歳のおり、場末の理髪店でみっちりと読書するために下宿したというが、読書より理髪店での浮世ばなしに魅せられ、実話にとりつかれたと告白している。浮世床は篠田鉱造にとっては『私の大学』ともなるものだった。この魅力を新聞記者となって、実話読物執筆に活かしたのである。・・・・」(p326)


そうそう。
黒岩比佐子著「『食道楽』の人 村井弦斎」(岩波書店)には、最後に人名索引があり、手軽に「篠田鉱造」の箇所を読めるようになっておりました。ありがたかった。
コメント
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