東北関東大震災がおこった際に、これは1000年に一度の震災である、という指摘がありました。千年というと、とほうもない向こうという気がします。
ついては詩について。
3月18日の産経新聞に柴田トヨ(99歳)に詩が掲載されておりました。
被災者の皆様に
あぁ なんという
ことでしょう
テレビをみながら
唯(ただ) 手をあわすばかりです
皆様の心の中は
今も余震がきて
傷痕がさらに
深くなっていると思います
その傷痕に
薬を塗ってあげたい
人間誰しもの気持ちです
私もできることは
ないだろうか? 考えます
もうすぐ百歳になる私
天国に行く日も
近いでしょう
その時は 日射しとなり
そよ風となって
皆様を応援します
これから 辛い日々が
続くでしょうが
朝はかならず やってきます
くじけないで!
千年と百歳。
たしか、柴田トヨさんは90歳になってから、
詩を書き始めたのだそうです。詩がやわらかく、ういういしく。
90歳から生まれでたような言葉の芯が通った初々しさ。
話はかわるのですが、詩人の北村太郎が亡くなった際に、
北川透氏が書いていた文が思い浮かびます。
「・・北村さんなどの晩年の詩業を見ていると・・ようやく詩は老年の文学になったという、感慨にもとらわれる。・・近代詩百年を経て、詩はようやく青春の文学から解放されかかっているのかも知れない。」(1993年1月22日朝日新聞夕刊「出あいの風景」)
高齢化と「詩は老年の文学」とどう違うのか?
それはそうと、思い浮かんだのは、高橋新吉の三行の詩「るす」。
るす
留守と言え
ここには誰も居らぬと言え
五億年経ったら帰って来る
五億年とはなあ。それでも、千年たってやってきた地震津波。
ついては詩について。
3月18日の産経新聞に柴田トヨ(99歳)に詩が掲載されておりました。
被災者の皆様に
あぁ なんという
ことでしょう
テレビをみながら
唯(ただ) 手をあわすばかりです
皆様の心の中は
今も余震がきて
傷痕がさらに
深くなっていると思います
その傷痕に
薬を塗ってあげたい
人間誰しもの気持ちです
私もできることは
ないだろうか? 考えます
もうすぐ百歳になる私
天国に行く日も
近いでしょう
その時は 日射しとなり
そよ風となって
皆様を応援します
これから 辛い日々が
続くでしょうが
朝はかならず やってきます
くじけないで!
千年と百歳。
たしか、柴田トヨさんは90歳になってから、
詩を書き始めたのだそうです。詩がやわらかく、ういういしく。
90歳から生まれでたような言葉の芯が通った初々しさ。
話はかわるのですが、詩人の北村太郎が亡くなった際に、
北川透氏が書いていた文が思い浮かびます。
「・・北村さんなどの晩年の詩業を見ていると・・ようやく詩は老年の文学になったという、感慨にもとらわれる。・・近代詩百年を経て、詩はようやく青春の文学から解放されかかっているのかも知れない。」(1993年1月22日朝日新聞夕刊「出あいの風景」)
高齢化と「詩は老年の文学」とどう違うのか?
それはそうと、思い浮かんだのは、高橋新吉の三行の詩「るす」。
るす
留守と言え
ここには誰も居らぬと言え
五億年経ったら帰って来る
五億年とはなあ。それでも、千年たってやってきた地震津波。