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和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

谷沢先生。

2011-03-14 | 他生の縁
2011年3月14日産経新聞の文化欄に渡部昇一氏の「谷沢永一さんを偲ぶ」が掲載されております。
ここには、最後の箇所を引用。


「・・・・谷沢さんが私を信用してくれたのは、70年代に吹き荒れた解放運動の中の過激派の攻撃に対しての私や上智大学の対応だったと思う。谷沢さんもその体験者であった。大阪と東京とでは状況はうんと違うと思うが、言論糾弾という点では共通点があった。その後、私の関係する小さな研究会に運動の有力者を招待して、その話を聞く機会を作ってくれたのも谷沢さんであった。
松下幸之助さんが(世界を考える)京都座会を作り、その下にいろいろな研究会がPHP研究所内にできたとき、私は『人間観の研究』という部門をやるように言われた。その恒久的なメンバーの一人に谷沢さんをお願いした。
この集まりは今年で300回を超えたが、そのうち280回ぐらいは谷沢さんも大阪から出席してくださった。必ず行われた二次会は、赤坂のカラオケのできるクラブであった。谷沢さんは『昭和枯れすすき』とか『風の盆恋歌』とか、湿っぽい歌が好きだった。席での会話は談論風発、面白い世間話の宝庫のような谷沢さんは陽気で明るく、ホステスたちを感心させたり、喜ばせたりしておられたが、歌うとなると急に景気の悪い歌ばかりで、その対照の妙が本当に懐かしい。研究会のメンバーも毎回、『谷沢先生がいないと華がなくなったようでさびしいな』と言いながら、軍歌などを歌っている。 ご冥福を祈り合掌。」


この日の産経新聞一面は、大見出しが「福島3号機も廃炉へ」。
この日の産経「次代への名言」は、池部良著「風、凪んでまた吹いて」からの言葉。「世間にゃ偉い人だといわれている奴にでも、納得しなきゃ、俺は、先生なんてふざけた呼び方はしねぇんだ」
名言のあとの解説は「そう、父の洋画家、鈞(ひとし)さんは、池部良さんに言った。・・・・」とはじまっておりました。
それじゃ。というので私は「江戸っ子の倅」をひらき、この箇所を引用。
それは「程よい理性人」と題した3ページほどの文。はじまりは

「洋画家だったおやじに言わせると、『先生と呼んでもおかしくない人は、そう沢山はいない。俺なんか生涯たったお二人だった。後は先生と呼んだ方が相手も気分よく付き合ってくれるし、何かと便利だし得だからな。お前も俳優になって、少しは名前が出るようになったらしいが、せいぜい気をつけるんだな』と復員して三年目『青い山脈』が封切られた日、そう言われたのを覚えている。」

ちなみに、池部良氏の文は、このあと映画監督の小津安二郎が登場。
その監督の謦咳が拾われております。

「『良べえ(池部良のこと)、一言(ひとこと)言っておくがな、東宝じゃ台詞(せりふ)を覚えて来ないそうだが、ここはそうはいかないよ。この『早春』は野田(高梧さん)と二人、一年かけて書き上げたんだ。一字一句でも仇(あだ)疎かに削ったり忘れたりしてみろ、俺、ただじゃすまさないよ。と言うわけだが、ま、よろしく頼むよ、ウヒヒヒヒ』と前歯が一本抜けている間から、不思議な音を立てて高らかにお笑いになった。・・・」(p48)


以上、今日の産経新聞を読みながら。
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