和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

四列目の男。

2011-03-21 | 短文紹介
東日本大震災は2011年3月11日午後2時におこりました。

佐々淳行著「彼らが日本を滅ぼす」(幻冬舎)の「あとがきにかえて」は平成23年1月に書かれておりました。そのなかに

「一月中は、民主党執行部がすべてを先送りしたため、小沢氏の政倫審出席も証人喚問も、仙石・馬淵両氏の問責決議の事後処理も、国会開催予定日も検察審査会の小沢氏の強制起訴も離党勧告も、ビデオ流出の海上保安官への地検の決定も、一切合切ごちゃまぜになってしまった。原因は全共闘・団塊の世代特有の『みんなで渡れば怖くない』方式の『連帯共同無責任』、さらにそれをつきつめていけば『菅内閣総理大臣の不決断』に集約されてしまう。こうして2011年は、『不決断の年』として幕開けした。
こんなときに重大緊急事態が発生したら、いったいどうなるのだろうか。
この状態が続けば、彼らは日本を滅ぼしてしまう。・・・・・」(p231)


佐々淳行氏の本文をみてゆけば、菅直人へのこういう言及がありました。

「私は、学生時代の菅直人氏をよく知っている。
菅直人総理も、あの第二次反安保闘争の学園紛争花盛りの当時、バリケード封鎖された東京工業大学の輝ける闘争委員長だった。
三派系セクトには属していなかったようだが、東工大学生たちを反安保闘争にかり立てる名アジテーターであったことは間違いない。当時、警視庁警備第一課長で機動隊運用の責任者だった私は、学長・加藤六美(むつみ)氏の要請で同大学付近に出動・待機していた間に、ラウンドスピーカーを通じて流れてくる彼のアジ演説を耳にしたものである。
加藤学長は、『あの菅という学生には手を焼いております。彼がアジ演説をすると、すぐ500人くらい集まって騒ぐので困っております』と、窮状を私に訴えていた。
東京工業大学のバリケード封鎖解除警備は、前後三回にわたって行われ、私はその現場指揮にあたった。当然ゲバ棒や投石による全共闘の抵抗があって検挙者も出たが、その中に菅闘争委員長の姿はなかった。
現場で警視庁の警備公安の幹部たちが、
『我々は、菅のことを【四列目の男】と呼んでいるんです』
と言う。・・・
『どういう意味?』
『機動隊が検挙活動に入ると、横隊だと三列目までは手が届くんですが、四列目となると手が届きません。彼はいつも四列目より後ろにいて、逃げ足が速いんで捕まえられないのです』なるほど、三回にわたる検挙活動で菅委員長を捕まえることができなかったわけがわかった。」(p140~141)

「2010(平成22)年12月16日、仙谷官房長官は菅総理がどんな場面でリーダーシップを発揮したかという具体例を『鳥インフルエンザ対策』『口蹄疫対策』『硫黄島での遺骨収集』など、なんと14分間、約30項目にわたって列挙した、『総理が決断した』『総理のリーダーシップで国の形まで変えることができつつある』と褒めちぎった。
前日の記者会見で、菅総理が指導力を発揮した例を質問されて答えられず、『明日までに思い出しておく』と保留していたことへの回答だった。」(p142)


この1月に出た本は、3月の東日本大震災を予言しているような箇所が後にあるのでした。


「どういうわけか、日本に国家危機管理上の大事件・大事故が起きるときには、平和主義者(パシフィスト)で、市民派で、弱くて、不決断で、ときとして無為無策で無能な、左翼かリベラルな内閣総理大臣が官邸にいるのだ。・・・
1995(平成7)年、阪神大震災、オウム真理教地下鉄サリン事件が起きたときには、なぜ好々爺で人柄はよいが社会党の村山富市氏が内閣総理大臣なのか。
・ ・・・
そして今、この日本沈没の危機に、元極左過激派で総括を済ませていない全共闘の市民派で、治安・防衛・外交を後回しにする、およそ危機管理に向かない菅直人が総理大臣である。さらに、2010年、一連の尖閣・ビデオ流出事件でおよそ日本の国益に反する言動ばかり取り続けた中心人物が東大安田講堂攻防戦に後方支援部隊として参加して、極左過激派学生たちの守護神として辣腕を振るった人権派弁護士である仙谷由人前官房長官である。
アジテーターではあってもリーダーシップに欠ける総理と、権力主義者の官房長官という組み合わせであった。・・・」(p208)

「『権力欲』だけの政治家は、もうこりごりだ。」(p224)
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