和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

画家の文。

2011-03-10 | 短文紹介
池部良著「江戸っ子の倅(せがれ)」幻戯書房を読んでるところ。
おもしろい。
これがどういう面白さなのかと思っていると、
画家の文章ということを連想したのでした。
たとえば、
板坂元氏のことばに

「ある画家が『絵を描く秘訣は、何を描かないかを知ることだ』と言った。キャンパスの上に、あれもこれもと並べ立てるのではいけない。不要なものを切り捨てて、必要なものだけに絞ることが大事な要領なのだ。このように仕事というものは『何をするか』よりも、『何をしないか』を決めることのほうが大事な場合が多い」(p119「発想の智恵表現の智恵」PHP研究所)

というのがあります。
さてっと、池部良氏のこの本を読んでいると、
画家の父親の言葉があれこれと出てくるのが特徴となっております。
いまちょうど、食べ物の箇所を読んでいるところなのですが、
たとえば、その題名が
  どぜうなべ
  栗 
  白菜
  キャベツ
  ステーキ
  お餅
  ホステリン
  百合根 西瓜
  大根
  しじみ
  そうめん
というのです。おもしろいなあ。
普通の食べ物を語って、味がある。
この本には、どこにも父親が登場し活躍するのでした。

たとえば池部良の父親が語っているこんな箇所。

「そらぁ、そうだろう、俺みたいな絵描きの絵というものはな、観る人の心と共鳴するか、その人の心を揺さぶる効果がなくちゃいけねぇ。それが芸術ってもんだ。そこへ行くと」と言っておふくろを見据えたら、
「書家でも同じじゃありません?父はそう言ってました。書は文明や文化を伝える貴重な道具ではあるが、絵よりも遥かに精神的なもので、芸術に達しているものだと言ってました」とおふくろは負けじと口答えした。
僕には、【にゅうめん】がいつの間にか芸術まで高まったとは気がつかなかった。
・ ・・・・・
煮麺騒動があった翌年の春、大学を卒業、東宝映画に入社。十か月間撮影所に在籍していたが翌十七年二月には軍隊に入れられて娑婆(しゃば)との縁が切れた。


以上は「そうめん」と題した文にあります(p165~166)。
ついでに、ここも引用しておきます。


「生れた大正七年は1918年に当り、第一次世界大戦が終ったときだと聞かされている程度。僕の歴史を振り返ってみると、五歳になったら関東大震災に見舞われ、小学校を卒業する二、三年前から軍国主義の臭いと鞭(むち)に脅かされ続けて来たような気がする。
張作霖爆殺事件、満州事変、五・一五事件、関東防空大演習、日中戦争、上海事変、ノモンハン事件、第二次世界大戦、そして大東亜戦争。軍隊に入れられる24歳まで・・・」(p81)


そうそう、池部良の文章なのですが、
律義に父親の語りを踏襲して、江戸っ子の端的な語りがひかります。
その語りとは、どんなか。

「趣味のないおやじが何故か落語だけにはご執心だったから、落語の時間となると僕が勉強しているというのに大きな声で『始るぞ、早く来い、今日は小さんだ』とどなったりする。」(p151)
これは、「大根」という題の文に出て来ます。なんでも高級ラジオで落語を聴いている場面なのでした。
う~ん。もう一箇所引用したくなります。
それは、「坊っちゃん」と題した文でした。

「・・十八歳の春、中学校を卒業する・・・武運拙く三校揃って不合格。已むなくおやじに嫌な顔をされながら浪人になった。浪人に成りたての七月の暑い日・・・本を手にしたら、忽ち居眠りを始めてしまった。『良ちゃん』と揺さぶられ目を開けたら、とても僕の方からはお近付になりたいと思わない三歳年上の従兄晋一郎が立っていた。『僕は一発で早稲田大学に入ったから全く理解出来ないんだが、浪人って疲れるだろうね。僕、慰問を兼ねて受験の一助になると思って夏目漱石の坊っちゃんという小説を持って来たんだが、是非読み給え。落語みたいな文章だから良ちゃんだって楽に読めると愚考するな』と言って・・・」(p61)

おあとは読んでのお楽しみ。
コメント
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