谷沢永一氏の震災体験が載っていた雑誌「ノーサイド」平成5年5月1日をさがす。出てこない。たしか、単行本に再録されていたと、さがせば潮出版社の谷沢永一著「読書人の観潮」にある。本の最初には平成7年1月28日「産経新聞」大阪版に掲載された「阪神大震災」でした。その文の最後は、
「臨機応変の反射神経を持たない村山首相は無能である。しかし有能なプロの政治家を毛嫌いして、キャリアの乏しい素人ばかり選んできた我が国民の強すぎる嫉妬心もまた、反省材料のひとつであろう。」(p12)
その次の文が「私の書庫被災白書」。「ノーサイド」に掲載されたもので、本を処分する話。
「しかし現在は蔵書を処分するのに最も都合の悪い時期である。私は五十年来、全国の古書店と殆ど洩れなくつきあってきたから、業界の傾向と景気については知悉している。今は学術書も売れず雑誌も売れない時期なのだ。・・・今の学者は本を買わない。・・」(p18~19)
さてっと、この文の最後を引用。
「このたびの整理で私がしっかりと手許に残したのは、超一流の学者の著述である。そして二流以下にはすべて流出していただいた。しかし改めてつくづく思うに、あの二流以下をもし読み漁らなかったら、ひょっとすると超一流を超一流と認めることができなかったかもしれない。よほどの天才的は読み巧者は別として、私のような凡俗は、あれこれと無駄な浪費的読書をしなければ、真物(ほんもの)に突き当たれなかったもののようである。
世には一筋の目的を定めて、見事に完備した蒐書(コレクション)を完成する人もいる。しかし私は五十年間、行き当たりばったりの無目的な買い集めに終始した。遂に読まなかった読めなかった本も甚だしく多い。近世期には外題(げだい)学問という蔑称があった。書名や書目だけに通じて内容を研究しない半端者を言う。私もまたその種の半可通かもしれぬ。しかし私は全国の古書販売目録を熟視して、これはなんの本かいなと思案しながら意を決して注文し、着いた本を見て喜んだり失望したりしながら撫でまわした。内藤湖南の教えるところに従って、序文と目次と後記とだけを読んだりしたものである。私にはそれが十分に役立った。身銭を切っただけのことはあったと思っている。私の蔵書は流出したけれども、その一点一点を手許に引き寄せる喜びが、私の五十年を貫く主導調であったろう。尽きぬ感謝の念を以って、私は旧蔵書を恭しく見送ったのであった。」(p21)
ちなみに、潮出版社の谷沢永一著「読書人の点燈」には、「震災で得た『五つの教訓』」(平成8年2月1日「プレジデント」34巻2号)という文。
こちらも、その最後の方を引用。
「私はすでに65歳、これを全部もとどおり有効に並べることなど不可能である。そこで、とりあえず若い大工さんに頼んで、手あたり次第に原則的に、つまり滅茶苦茶に棚へもどしてもらった。続いて、懇意の古書店に来ていただき、朝から夕方までの四日間、手放すべき本を私が抜きとる作業を急いだ。その結果、放出する古書が二頓トラック三台分、我が家から運びさられたのである。残ったのは大体もとの半数ちょっと、それがいまだに無秩序なまま書棚に残っている。それすら並びかえる元気はない。・・・
あれから一年、私は今も自分が絶対に持っている筈なのに見つからぬ本を探して、書棚の前をうろうろしている。さしせまった仕事に要る本は、業腹だけれど改めて買ったり、また図書館から借りだしたりしなければならない。本に怨みはかずかずござる。震災後の私は、自分の本を見つけるのに難儀するという面白くない徒労を強いられているのである。」(p103)
私がすぐにも真似できるのは、「序文と目次と後記とだけを」という箇所しかないと。ハイ。よくわかっております。それでもって、各文の最後を引用したというしだいです。ハイ。
「臨機応変の反射神経を持たない村山首相は無能である。しかし有能なプロの政治家を毛嫌いして、キャリアの乏しい素人ばかり選んできた我が国民の強すぎる嫉妬心もまた、反省材料のひとつであろう。」(p12)
その次の文が「私の書庫被災白書」。「ノーサイド」に掲載されたもので、本を処分する話。
「しかし現在は蔵書を処分するのに最も都合の悪い時期である。私は五十年来、全国の古書店と殆ど洩れなくつきあってきたから、業界の傾向と景気については知悉している。今は学術書も売れず雑誌も売れない時期なのだ。・・・今の学者は本を買わない。・・」(p18~19)
さてっと、この文の最後を引用。
「このたびの整理で私がしっかりと手許に残したのは、超一流の学者の著述である。そして二流以下にはすべて流出していただいた。しかし改めてつくづく思うに、あの二流以下をもし読み漁らなかったら、ひょっとすると超一流を超一流と認めることができなかったかもしれない。よほどの天才的は読み巧者は別として、私のような凡俗は、あれこれと無駄な浪費的読書をしなければ、真物(ほんもの)に突き当たれなかったもののようである。
世には一筋の目的を定めて、見事に完備した蒐書(コレクション)を完成する人もいる。しかし私は五十年間、行き当たりばったりの無目的な買い集めに終始した。遂に読まなかった読めなかった本も甚だしく多い。近世期には外題(げだい)学問という蔑称があった。書名や書目だけに通じて内容を研究しない半端者を言う。私もまたその種の半可通かもしれぬ。しかし私は全国の古書販売目録を熟視して、これはなんの本かいなと思案しながら意を決して注文し、着いた本を見て喜んだり失望したりしながら撫でまわした。内藤湖南の教えるところに従って、序文と目次と後記とだけを読んだりしたものである。私にはそれが十分に役立った。身銭を切っただけのことはあったと思っている。私の蔵書は流出したけれども、その一点一点を手許に引き寄せる喜びが、私の五十年を貫く主導調であったろう。尽きぬ感謝の念を以って、私は旧蔵書を恭しく見送ったのであった。」(p21)
ちなみに、潮出版社の谷沢永一著「読書人の点燈」には、「震災で得た『五つの教訓』」(平成8年2月1日「プレジデント」34巻2号)という文。
こちらも、その最後の方を引用。
「私はすでに65歳、これを全部もとどおり有効に並べることなど不可能である。そこで、とりあえず若い大工さんに頼んで、手あたり次第に原則的に、つまり滅茶苦茶に棚へもどしてもらった。続いて、懇意の古書店に来ていただき、朝から夕方までの四日間、手放すべき本を私が抜きとる作業を急いだ。その結果、放出する古書が二頓トラック三台分、我が家から運びさられたのである。残ったのは大体もとの半数ちょっと、それがいまだに無秩序なまま書棚に残っている。それすら並びかえる元気はない。・・・
あれから一年、私は今も自分が絶対に持っている筈なのに見つからぬ本を探して、書棚の前をうろうろしている。さしせまった仕事に要る本は、業腹だけれど改めて買ったり、また図書館から借りだしたりしなければならない。本に怨みはかずかずござる。震災後の私は、自分の本を見つけるのに難儀するという面白くない徒労を強いられているのである。」(p103)
私がすぐにも真似できるのは、「序文と目次と後記とだけを」という箇所しかないと。ハイ。よくわかっております。それでもって、各文の最後を引用したというしだいです。ハイ。