和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

二人差し向かいで。

2011-03-16 | 短文紹介
丸谷才一氏の「思考のレッスン」は身近な本棚に置いております。丸谷氏の評論では、マガジンハウスから出ている本が好きです。というか、ほかの出版社とは、同じ著者でも味わいが異なる。この不思議。

さてっと、では、谷沢永一氏の話。
晩年の谷沢永一氏の対談では、渡部昇一氏とのものを、毎回楽しみにしておりました。読みながら、これは山本七平を読み直さなきゃと思ったり、テーマの本を注文したりしておりました。ついては、渡部昇一氏の「谷沢永一さんを偲ぶ」(産経新聞2011年3月14日)のはじまりは、大修館書店の編集者・藤田恍一郎(こういちろう)氏が登場しております。新聞の追悼文のはじまりの箇所を引用してみます。


「谷沢永一さんの専門は国文学で、私の専門は英語学である。本来ならば、お知り合いになる機会はなくても不思議はなかった。それが、この30年間に対談本を20冊も作るようになったのは・・大修館書店の若き(当時)編集者、藤田恍一郎氏(東京大学仏文卒)が対談本の企画を立ててくれたことから始まる。70年代のおわりのころ、今から三十数年前のことであった。・・・・私は当時、谷沢さんのことは全く知らなかった。藤田さんは次のように私に説明してくれた。『すごい蔵書で、国文学の世界では鬼のように怖れられているんです。私もその学会の大会に見学のため出たことがありますが、谷沢先生が入場すると、一瞬、会場が静まりかえったのです』と。谷沢さんの歯に衣きせぬ発言で、その学界でボスのような学者がもうその学会に出られなくなったという噂のある人だとも言った。私も発言ではあまり遠慮しない人間だと見て、噛み合わせてみようという編集者のアイデアであった。そして、見事に噛み合ったのである。・・・・」


ところで、谷沢永一と編集者といえば、私にすぐに思い浮かぶのは潮出版社の編集者・背戸逸夫。たとえば「読書人の点燈」を、昨日ダンボール箱から取り出してきたのでした。新聞雑誌に掲載された短文を集めただけの本なのに、味があって楽しめます。
たとえば、最初は「司馬遼太郎の贈りもの」という12ページほどの雑誌掲載文。最初のページに司馬さんの言葉が引用してあります。
「司馬遼太郎が、準備に五年、執筆に五年、四十代のすべてをかけた畢生(ひつせい)の作品『坂の上の雲』のあとがきに・・・その執筆態度について、『小説とは要するに人間と人生につき、印刷するに足るだけの何事かを書くというだけのもので、それ以外の文学理論は私にはない』とある」(p7)

私が線をひいていたのは「手紙は最大の心尽くし」(p38~45)
「雑書放蕩六十年」(p90~96)には、阪神大震災のことから書き起こされておりました。うん、ここも少し引用しておきます。

「阪神大震災を機に、かなり蔵書を処分しました。」とはじまります。

「古本屋さんに来てもらいました。彼らなりの関連事項別にぱっぱっと分け、素早く紐でひと塊ずつにしていく。それでも四日間かかりました。大震災の日は、川西市の自宅におりました。午前三時に起きて原稿を書いていたんです。ひと休みということで、茶の間で一服していたその時、ぐらっと来ました。傍らに食器棚があったのですが、これが劇的にバーンと開きましてね、上下動のせいで食器が垂直に落ちてきました。書庫のことは念頭に浮かびませんでした・・・・冬の一月、まだ真っ暗でした。しばらくして、空が白み始めるころ、はっと気が付いて書庫に向かいました。異様な状態というしかありません。一階の書架は大きく傾き、一部は壊れている・・・・ようやくにして二階に昇ったとたん、呆然としました。数万冊の本という本がすべて床に叩きつけられている。・・・・ときかく手の付けようのない状態です。すると、すぐ司馬遼太郎さんから速達が届きました。自分で本を棚に戻そうとしてはいけません、本に無関心の方に片づけてもらうようにしなさい、そして暖かくなってからご自身で編成がえをするように――そう書いてありました。・・・・」

「震災で得た『五つの教訓』」(p100~103)は昨日引用しました。

そうそう、文芸春秋に掲載されて印象深かったのですが、すっかり忘れていた短文もここにありました。「新聞書評に頼らないで、10冊」(p152~155)そのはじまりは、「選択の基準は簡単です。私がかねてより心から尊敬し、その人の述作は全部かならず目を通そうと決めている方々の著書のなかから、この二年以内に刊行されたものを選んでみました。それ以外にも秀れた貢献は沢山あり、その多くは、これから読むべしと、背後の書棚にずらりと並べてあります。・・・・配列は刊行年代順にととのえましたが、今年の二月までに刊行された七冊を御覧になれば、直ちにお気付きのように、これらはほとんど、新聞および週刊誌において十分には書評されておりません。最新刊の三冊のうちでも、『風塵抄二』を例外として、残りの二冊はおそらく書評にとりあげられないでしょう。期せずして私の贔屓(ひいき)とする著作家のほとんどは、現在の書評家陣営によって忌避されているのです。・・・」まあ、こんは風にはじまっております。

毎日新聞に掲載された「出版社の社史三冊」(p230~231)も、この本に収録されておりました。
この潮出版社から出されている本には毎回、「編集者と著者との密談」というのが最後に掲載されているのと、そのあとに月報もあり、盛りだくさん。

あ、そうそう。「エッセイストの条件」(p211~216)は、渡部昇一氏をとりあげております。ここも引用しておきます。


「・・・名文とはどういうことかというとちょっと問題であるけれども、しかし物事を捉えてそれを切り口上で言うということは実は非常に簡単なことなんだ。本当はいろんなことを取り合わせて、いろんなことを言いながら、全体として気分を出すということが、文章の最も難しい極地なのである、ということを申しております。・・・・私はエッセイというものは論説、議論ではなく、つまりニュアンスであって、すなわちエッセイというものは何か特定のテーマを論証するものではございませんで、人間として一番、誰もが全部関心のあること、これは人間であり、人の心でありますが、その人の心を論じながら人の心を語りながら人の心に訴えかけるという、これが私はエッセイというこのスタイルの一番の根幹であろうかと思うわけでございます。まさに渡部昇一先生は生まれながらのエッセイストであると私は思っております。・・・そして、その渡部エッセイを読むことは渡部先生と二人差し向かいで静かに語り合うという雰囲気をいつも与えてもらえる。・・・・」



そういえば、すっかり忘れていたのですが、PHP文庫の谷沢永一著「紙つぶて(完全版)」(1999年)の解説は、渡部昇一氏でした。阪神大震災の被災の状況から語りはじめられており。一読して、背筋を伸ばさなければという文でした。
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