注文してあった池部良著「天丼はまぐり鮨ぎょうざ」(幻戯書房)が手に入りました。うん。そのあとがきを読んでよかった。最初をちらりと読んだら、もう3~4ページで満腹。それ以上は、まあ、ゆっくりと読むことにします。
ところで、
今年は、岡本太郎(1911~1996年)の誕生100年なのだそうです。
そういえば、池部良の母親・篁子(こうこ)は岡本一平の妹なのだそうでした。池部良著「そよ風ときにはつむじ風」(毎日新聞社・帯には「江戸っ子のおやじと僕の物語」)をひらいたら、こうあります。
「従兄(いとこ)の岡本太郎に言わせれば『お前のおふくろは俺のハンサムなおやじの妹だが似ても似つかぬ醜女だな。でも京橋小町なんて騒がれていたから俺のおやじと美校の同級生だったお前のおやじがおこうちゃんにすっかりその気になって嫁さんに、とせっついて貰ったんじゃないのか』、である。」(p11)
岡本太郎といえば、「太陽の塔」。
つぎのエピソードは、「梅棹忠夫に挑む」(中央公論新社)。
すこし前からの引用。
「東京オリンピックころ、当時、経済企画庁経済研究所長の林雄二郎、建築評論家の川添登、のちの学習院大学教授となった加藤秀俊、SF作家として売り出し中の小松左京との五人で『万国博をかんがえる会』を作りました。・・・日本の興隆期にあってわたしたちの関心は『未来』でした。空想ではなく合理的、論理的発想で『未来学』を盛んに議論しました。・・・・・」(p198)
つぎのページに大阪万博のことがでてきます。
「アメリカの『月の石』などパビリオンでは各国自慢のものを見せていて、はなやかな、文明のお祭りやったな。じつに衝撃的な体験でした。開会式では歌手の三波春夫が『コンニチハ、コンニチハ』と歌い、舞台には振り袖のお嬢さんが次から次に出てきた。お客さんが『夢みたいや』とつぶやいたのを覚えています。
万博開催には反対運動もありましたが、わたしは早くから、面白いことができるぞと小松左京ら五人で作った『万国博をかんがえる会』で議論をかさねていた。わたしはいくつも宣言文の草案を書き、佐藤栄作総理の演説と万国博協会の石坂泰三会長のあいさつ文も調子を変えて書きわけました。
テーマ館のチーフ・プロデューサーには岡本太郎さんを推薦した。破天荒なことがやれるのはこの人しかいないと。『太陽の塔』みたいな途方もない造形は、ちょっとほかの人ではできません。・・・」(p199~200)
どういうわけか、梅棹忠夫と岡本太郎と池部良とがつながりました(笑)。
岡本太郎 1911(明治44)年2月26日 ~ 1996年1月7日
池部良 1918(大正7)年2月11日 ~ 2010年10月8日
梅棹忠夫 1920(大正9)年6月13日 ~ 2010年7月3日
ところで、
今年は、岡本太郎(1911~1996年)の誕生100年なのだそうです。
そういえば、池部良の母親・篁子(こうこ)は岡本一平の妹なのだそうでした。池部良著「そよ風ときにはつむじ風」(毎日新聞社・帯には「江戸っ子のおやじと僕の物語」)をひらいたら、こうあります。
「従兄(いとこ)の岡本太郎に言わせれば『お前のおふくろは俺のハンサムなおやじの妹だが似ても似つかぬ醜女だな。でも京橋小町なんて騒がれていたから俺のおやじと美校の同級生だったお前のおやじがおこうちゃんにすっかりその気になって嫁さんに、とせっついて貰ったんじゃないのか』、である。」(p11)
岡本太郎といえば、「太陽の塔」。
つぎのエピソードは、「梅棹忠夫に挑む」(中央公論新社)。
すこし前からの引用。
「東京オリンピックころ、当時、経済企画庁経済研究所長の林雄二郎、建築評論家の川添登、のちの学習院大学教授となった加藤秀俊、SF作家として売り出し中の小松左京との五人で『万国博をかんがえる会』を作りました。・・・日本の興隆期にあってわたしたちの関心は『未来』でした。空想ではなく合理的、論理的発想で『未来学』を盛んに議論しました。・・・・・」(p198)
つぎのページに大阪万博のことがでてきます。
「アメリカの『月の石』などパビリオンでは各国自慢のものを見せていて、はなやかな、文明のお祭りやったな。じつに衝撃的な体験でした。開会式では歌手の三波春夫が『コンニチハ、コンニチハ』と歌い、舞台には振り袖のお嬢さんが次から次に出てきた。お客さんが『夢みたいや』とつぶやいたのを覚えています。
万博開催には反対運動もありましたが、わたしは早くから、面白いことができるぞと小松左京ら五人で作った『万国博をかんがえる会』で議論をかさねていた。わたしはいくつも宣言文の草案を書き、佐藤栄作総理の演説と万国博協会の石坂泰三会長のあいさつ文も調子を変えて書きわけました。
テーマ館のチーフ・プロデューサーには岡本太郎さんを推薦した。破天荒なことがやれるのはこの人しかいないと。『太陽の塔』みたいな途方もない造形は、ちょっとほかの人ではできません。・・・」(p199~200)
どういうわけか、梅棹忠夫と岡本太郎と池部良とがつながりました(笑)。
岡本太郎 1911(明治44)年2月26日 ~ 1996年1月7日
池部良 1918(大正7)年2月11日 ~ 2010年10月8日
梅棹忠夫 1920(大正9)年6月13日 ~ 2010年7月3日