柴田トヨさんの詩をどう読めばよいのだろうなあ。
そんなことを思っておりました。
柳田國男の涕泣史談に、ああこれじゃないかなあ。
という言葉を見つけました。
まあ、そのまえに、柴田さんの詩を引用。
あなたに
出来ないからって
いじけていてはダメ
私だって 九十六年間
出来なかったことは
山ほどある
父母への孝行
子供の教育
数々の習いごと
でも努力はしたのよ
精いっぱい
ねえ それが
大事じゃないかしら
さあ 立ち上がって
何かをつかむのよ
悔いを
遺さないために
では、柳田國男氏の文を引用してみます。
「以前国民の唯一の教育機関として、昔と後の世との連絡に任じていた故老は、別に何等かのもっと積極的な特徴をそなえていた。記憶力も欠くべからざるものであるが、それよりも大切なのは観察の無私であったこと、その上に過去というものの神秘性を感ずる人で、父祖の活き方考え方に対する敬虔なる態度を認め、その感じたものを自分もまた、次の代の人に伝えずにいられぬ心持を抱いている者、一種宗教的な気質の人が、いわゆるオールドマンだとリバース博士などは説いている。日本の田舎には、そういう人が元は必ず若干はいた。概していうとやや無口な、相手の人柄を見究めないと、うかとはしゃべるまいとする様な人に是が多かった。そらが人生の終りに近づくと、どうか早く適当な人をつかまえて、語り伝えて置きたいとあせり出すのである。男の中にもそういう人は無論いるが、どちらかといえば老女の中に、多く見出されるようにも言われている。・・・・・これを歴史の学問に利用する場合には、かなり骨折な手順がいることは事実であるが、その代りには是が無かったら、全然知らずにしまうかも知れぬことを、我々は学び得るのである。」
柴田トヨさんが90歳を過ぎてから、こういう詩を書き始めたことを思うにつけ、柳田國男氏の指摘を、あらためて思うのでした。
「観察の無私」ということで、柴田トヨさんの詩「被災者の皆様に」(産経新聞3月18日)を、すこし引用してみます。
・・・・・
皆様の心の中は
今も余震がきて
傷痕がさらに
深くなっていると思います
その傷痕に
薬を塗ってあげたい
人間誰しもの気持ちです
・・・・・
これから 辛い日々が
続くでしょうが
朝はかならず やってきます
くじけないで!
そんなことを思っておりました。
柳田國男の涕泣史談に、ああこれじゃないかなあ。
という言葉を見つけました。
まあ、そのまえに、柴田さんの詩を引用。
あなたに
出来ないからって
いじけていてはダメ
私だって 九十六年間
出来なかったことは
山ほどある
父母への孝行
子供の教育
数々の習いごと
でも努力はしたのよ
精いっぱい
ねえ それが
大事じゃないかしら
さあ 立ち上がって
何かをつかむのよ
悔いを
遺さないために
では、柳田國男氏の文を引用してみます。
「以前国民の唯一の教育機関として、昔と後の世との連絡に任じていた故老は、別に何等かのもっと積極的な特徴をそなえていた。記憶力も欠くべからざるものであるが、それよりも大切なのは観察の無私であったこと、その上に過去というものの神秘性を感ずる人で、父祖の活き方考え方に対する敬虔なる態度を認め、その感じたものを自分もまた、次の代の人に伝えずにいられぬ心持を抱いている者、一種宗教的な気質の人が、いわゆるオールドマンだとリバース博士などは説いている。日本の田舎には、そういう人が元は必ず若干はいた。概していうとやや無口な、相手の人柄を見究めないと、うかとはしゃべるまいとする様な人に是が多かった。そらが人生の終りに近づくと、どうか早く適当な人をつかまえて、語り伝えて置きたいとあせり出すのである。男の中にもそういう人は無論いるが、どちらかといえば老女の中に、多く見出されるようにも言われている。・・・・・これを歴史の学問に利用する場合には、かなり骨折な手順がいることは事実であるが、その代りには是が無かったら、全然知らずにしまうかも知れぬことを、我々は学び得るのである。」
柴田トヨさんが90歳を過ぎてから、こういう詩を書き始めたことを思うにつけ、柳田國男氏の指摘を、あらためて思うのでした。
「観察の無私」ということで、柴田トヨさんの詩「被災者の皆様に」(産経新聞3月18日)を、すこし引用してみます。
・・・・・
皆様の心の中は
今も余震がきて
傷痕がさらに
深くなっていると思います
その傷痕に
薬を塗ってあげたい
人間誰しもの気持ちです
・・・・・
これから 辛い日々が
続くでしょうが
朝はかならず やってきます
くじけないで!