産経新聞の水曜日には、曽野綾子さんの「透明な歳月の光」が連載されております。4月6日は第430回「停電に対する訓練不足」とあります。そのはじまりの箇所を引用。
「ほとんど毎年のようにアフリカに行っていたおかげで、私は停電に慣れて懐中電灯の扱い方がうまくなっていた。たいていの日本人は、真っ暗になってから慌てて『荷物の中に入れてきているんですが・・』と言う。しかし停電になったら探し出せないのが懐中電灯というものだから、必ず身につけている癖がつく。日本人は、停電というものに対する訓練が、全くできていなかった。受験生も停電という英語の単語を知らないし、停電になるとどういうことが起きるのかも考えたことがない。たいていのアフリカのシスターたちは、懐中電灯を口にくわえてお産の介助をした経験があるのだ。
だから飽食の時代に育ったご苦労知らずの新聞記者やテレビのキャスターたちは、『援助の物資は公平に渡されていますか』『明日の予定はどうなりますか』などとバカ殿様のような質問をする。停電になったら、公平平等を貫く機能は失われる。明日の予定も立たない。・・・・」
雑誌「WILL」5月号にも、曽野綾子さんは「小説家の身勝手」を連載しております。
第四十章「ゲリラの時間」。
「・・・今回、事件当初は、若い世代ほど、異常事態に対応する力を持たなかったように見える。年取って鈍感になったのかもしれないが、私たちのように戦争を知り、死の危険性も体験し、不潔や不便や暗闇で暮らす生活も受け入れ、人生は決して無責任な政治家が言うように『安心して暮らせる生活』の継続などではないことを骨身にしみて知っていた世代は、ほとんど慌てなかったのだ。」(p121)
この戦争世代についての箇所をもうすこし引用
「私たち戦争によって子供時代に訓練された世代は、今度のことで全く慌てなかった。おもしろい事象がたくさん起きた。烈しい揺れが来た時、決して若くはない私の知人の数人は食事中であった。彼らは、普段より多く食べておいたと告白している。家に帰ってから食事をするつもりだったという別の一人は、空いていたお鮨屋に飛び込んで揺れの合間に普段の倍も食べトイレも済ませてから、家に向かって歩き出した。その人は、二度目の地震が収まった後、渋谷駅から246号線を赤坂見附方面に歩き、少し様子を眺めることにした。非常時に、人の心を救うのはこの余裕である。観察し、分析し、記録(記憶)しておこうという人間的な本能が残されていることは、いつか非常に役立つのである。」(p124)
さてっと、曽野さんのこの文に
「彼らは天気予報文化のなかで生きてきた」(p126)と彼ら若い人のことを指摘しておりました。そういえば、加藤秀俊著「常識人の作法」(講談社)に「科学と感性」という開花宣言にまつわるエピソードが印象に残っております。それはそうとして、読売新聞4月4日夕刊の一面には「福島原発の放射性物質 拡散予測公表せず」「欧州気象機関は開示」と見出しにあります。その最初の箇所は
「東京電力福島第一原子力発電所の事故で、気象庁が同原発から出た放射性物質の拡散予測を連日行っているにもかかわらず、政府が公開していないことが4日、明らかになった。ドイツやノルウェーなど欧州の一部の国の気象機関は日本の気象庁などの観測データに基づいて予測し、放射性物質が拡散する様子を連日、天気予報サイトで公開している。日本政府の原発事故に関する情報開示の在り方が改めて問われている。」
うん。情報は、大本営発表だけに、すがっていてはいけないようです。
「ほとんど毎年のようにアフリカに行っていたおかげで、私は停電に慣れて懐中電灯の扱い方がうまくなっていた。たいていの日本人は、真っ暗になってから慌てて『荷物の中に入れてきているんですが・・』と言う。しかし停電になったら探し出せないのが懐中電灯というものだから、必ず身につけている癖がつく。日本人は、停電というものに対する訓練が、全くできていなかった。受験生も停電という英語の単語を知らないし、停電になるとどういうことが起きるのかも考えたことがない。たいていのアフリカのシスターたちは、懐中電灯を口にくわえてお産の介助をした経験があるのだ。
だから飽食の時代に育ったご苦労知らずの新聞記者やテレビのキャスターたちは、『援助の物資は公平に渡されていますか』『明日の予定はどうなりますか』などとバカ殿様のような質問をする。停電になったら、公平平等を貫く機能は失われる。明日の予定も立たない。・・・・」
雑誌「WILL」5月号にも、曽野綾子さんは「小説家の身勝手」を連載しております。
第四十章「ゲリラの時間」。
「・・・今回、事件当初は、若い世代ほど、異常事態に対応する力を持たなかったように見える。年取って鈍感になったのかもしれないが、私たちのように戦争を知り、死の危険性も体験し、不潔や不便や暗闇で暮らす生活も受け入れ、人生は決して無責任な政治家が言うように『安心して暮らせる生活』の継続などではないことを骨身にしみて知っていた世代は、ほとんど慌てなかったのだ。」(p121)
この戦争世代についての箇所をもうすこし引用
「私たち戦争によって子供時代に訓練された世代は、今度のことで全く慌てなかった。おもしろい事象がたくさん起きた。烈しい揺れが来た時、決して若くはない私の知人の数人は食事中であった。彼らは、普段より多く食べておいたと告白している。家に帰ってから食事をするつもりだったという別の一人は、空いていたお鮨屋に飛び込んで揺れの合間に普段の倍も食べトイレも済ませてから、家に向かって歩き出した。その人は、二度目の地震が収まった後、渋谷駅から246号線を赤坂見附方面に歩き、少し様子を眺めることにした。非常時に、人の心を救うのはこの余裕である。観察し、分析し、記録(記憶)しておこうという人間的な本能が残されていることは、いつか非常に役立つのである。」(p124)
さてっと、曽野さんのこの文に
「彼らは天気予報文化のなかで生きてきた」(p126)と彼ら若い人のことを指摘しておりました。そういえば、加藤秀俊著「常識人の作法」(講談社)に「科学と感性」という開花宣言にまつわるエピソードが印象に残っております。それはそうとして、読売新聞4月4日夕刊の一面には「福島原発の放射性物質 拡散予測公表せず」「欧州気象機関は開示」と見出しにあります。その最初の箇所は
「東京電力福島第一原子力発電所の事故で、気象庁が同原発から出た放射性物質の拡散予測を連日行っているにもかかわらず、政府が公開していないことが4日、明らかになった。ドイツやノルウェーなど欧州の一部の国の気象機関は日本の気象庁などの観測データに基づいて予測し、放射性物質が拡散する様子を連日、天気予報サイトで公開している。日本政府の原発事故に関する情報開示の在り方が改めて問われている。」
うん。情報は、大本営発表だけに、すがっていてはいけないようです。