菅首相の震災からの一連の行動については、
あるいは、みなさんの方がよく御存知なのかもしれない。
それについては、ここでは、触れないことにして、
谷沢永一対談集「人間万事塞翁が馬」(潮出版社)の
会田雄次氏との対談「阪神大震災でわかった日本人の苦い側面」から
谷沢】 私が不満でたまらないのは、『村山首相やめろコール』が、国民のあいだでまったく起こらないことです。日本人には為政者に怒るという神経がない。古い言葉でいうお上なんです。・・・・力のあるリーダーシップがなくても、うまくいくと信じきっています。(p27)
また、こうも語られておりました。
谷沢】 こんなことをいうと語弊があるけれども、今回の震災は小規模すぎた。被災者には非常に申しわけないんですが、しかし、日本の覚醒のために、あえていわせていただきたい。思いのほかうまく復興したりすれば、政治家たちを安心させ、のさばらせること必定です。その意味で、私は国難待望論です。日本は国難があるときがいちばん生き生きしている。日本の歴史は国難史です。・・・(p25)
この諌める言葉を、国民に発する谷沢永一氏のことを思います。
ところで、
この国難待望論は、いったいどこから発想されたのか?
なんて、思ったわけです。
谷沢永一著「紙つぶて 自作自注最終版」(文藝春秋)は、
いままでの「紙つぶて」のコラムを右ページに置き。
その左ページには、自注として新しく書き込みをしてある不思議な一冊。
その左ページに、こんな箇所がありました。
「山崎正和は対談集『沈黙を誰が聞く』(PHP研究所)において次の如く語る。
【 私は大体、日本人の精神のバネはいつでも天災と、それに対する復興のエネルギーにあると思っているんです。つまり日本人は社会観なり宗教観なりの形ではっきりしたものを主張しているわけではありませんから、ある文化の平衡というか、ホメオスタシスといいますか、生理的なバランスみたいなものが精神の内容であって、キリスト教徒のようなはっきりした主張を持っていないわけですね。
ですからそういうものをバネにして何か大きな仕事をするとか、国を伸ばすとかいうことはあまりないわけで、むしろ外側から災難がやってきますと、その災難を復興する形で、実はもとの状態より伸びるというパターンがあるんじゃないかという気がするんです。
その、災難があるとはね返していくというのが日本人のエネルギーの源泉だとすると、『戦後』が終わったというのか、大体60年ごろに災難は一応終わったという感じがきたんじゃないか 】
同感である。その時点からそれぞれ各階層の箍(たが)が見る見るゆるんだと思われる。」(p663)
あるいは、みなさんの方がよく御存知なのかもしれない。
それについては、ここでは、触れないことにして、
谷沢永一対談集「人間万事塞翁が馬」(潮出版社)の
会田雄次氏との対談「阪神大震災でわかった日本人の苦い側面」から
谷沢】 私が不満でたまらないのは、『村山首相やめろコール』が、国民のあいだでまったく起こらないことです。日本人には為政者に怒るという神経がない。古い言葉でいうお上なんです。・・・・力のあるリーダーシップがなくても、うまくいくと信じきっています。(p27)
また、こうも語られておりました。
谷沢】 こんなことをいうと語弊があるけれども、今回の震災は小規模すぎた。被災者には非常に申しわけないんですが、しかし、日本の覚醒のために、あえていわせていただきたい。思いのほかうまく復興したりすれば、政治家たちを安心させ、のさばらせること必定です。その意味で、私は国難待望論です。日本は国難があるときがいちばん生き生きしている。日本の歴史は国難史です。・・・(p25)
この諌める言葉を、国民に発する谷沢永一氏のことを思います。
ところで、
この国難待望論は、いったいどこから発想されたのか?
なんて、思ったわけです。
谷沢永一著「紙つぶて 自作自注最終版」(文藝春秋)は、
いままでの「紙つぶて」のコラムを右ページに置き。
その左ページには、自注として新しく書き込みをしてある不思議な一冊。
その左ページに、こんな箇所がありました。
「山崎正和は対談集『沈黙を誰が聞く』(PHP研究所)において次の如く語る。
【 私は大体、日本人の精神のバネはいつでも天災と、それに対する復興のエネルギーにあると思っているんです。つまり日本人は社会観なり宗教観なりの形ではっきりしたものを主張しているわけではありませんから、ある文化の平衡というか、ホメオスタシスといいますか、生理的なバランスみたいなものが精神の内容であって、キリスト教徒のようなはっきりした主張を持っていないわけですね。
ですからそういうものをバネにして何か大きな仕事をするとか、国を伸ばすとかいうことはあまりないわけで、むしろ外側から災難がやってきますと、その災難を復興する形で、実はもとの状態より伸びるというパターンがあるんじゃないかという気がするんです。
その、災難があるとはね返していくというのが日本人のエネルギーの源泉だとすると、『戦後』が終わったというのか、大体60年ごろに災難は一応終わったという感じがきたんじゃないか 】
同感である。その時点からそれぞれ各階層の箍(たが)が見る見るゆるんだと思われる。」(p663)