朝日の古新聞をもらってきました。
とりあえず、朝日新聞の3月17日をとりだし、ひらきます。
一面にない。さがすと第二社会面に、それはありました。
ちょうど、朝日新聞の天声人語を縦にしたスペース、
その半分の幅に陛下のお写真。それがページ全面に占める記事のとりあつかいでした。一面の目次見出しにも、とりたてて表示はありませんので、誰かの指摘がないと、見失われかねない小さな情報として、それは掲載されておりました。
疲れるなあ、まんべんなく読まなければ、探し出せない記事。声欄の方を優先する、その扱い方に、あぜんとするのでした。こういうときに、普段の日の記事の取り扱い方の異常さがでてしまいます。
ちなみに、「WILL」五月号。p28~29に
「天皇陛下のお言葉 三月十六日」と全文掲載されております。
朝日新聞が掲載しないのなら、そこから、私が全文引用しておいても
無駄にはならぬ。初めて読まれる方が一人でもおられるならば
このたびの東北地方太平洋沖地震は、マグニチュード9.0という例を見ない規模の巨大地震であり、被災地の悲惨な状況に深く心を痛めています。地震や津波による死者の数は日を追って増加し、犠牲者が何人になるのかも分かりません。一人でも多くの人の無事が確認されることを願っています。
また、現在、原子力発電所の状況が予断を許さぬものであることを深く案じ、関係者の尽力により事態の更なる悪化が回避されることを切に願っています。
現在、国を挙げての救援活動が進められていますが、厳しい寒さの中で、多くの人々が、食糧、飲料水、燃料などの不足により、極めて苦しい避難生活を余儀なくされています。その速やかな救済のために全力を挙げることにより、被災者の状況が少しでも好転し、人々の復興への希望につながっていくことを心から願わずにはいられません。
そして、何にも増して、この大災害を生き抜き、被災者としての自らを励ましつつ、これからの日々を生きようとしている人々の雄々しさに深く胸を打たれています。
自衛隊、警察、消防、海上保安庁をはじめとする国や地方自治体の人々、諸外国から救援のために来日した人々、国内のさまざまな救援組織に属する人々が余震の続く危険な状況の中で日夜救援活動を進めている努力に感謝し、その労を深くねぎらいたく思います。
今回、世界各国の元首から相次いでお見舞いの電報が届き、その多くに各国国民の気持ちが被災者と共にあるとの言葉が添えられていました。これを被災地の人々にお伝えします。
海外においては、この深い悲しみの中で、日本人が取り乱すことなく助け合い、秩序ある対応を示していることに触れた論調も多いと聞いています。これからも皆が相携(たずさ)え、いたわり合って、この不幸な時期を乗り越えることを衷心(ちゅうしん)より願っています。
被災者のこれからの苦難の日々を、私たち皆が、さまざまな形で少しでも多く分かち合っていくことが大切であろうと思います。
被災した人々が決して希望を捨てることなく、身体(からだ)を大切に明日からの日々を生き抜いてくれるよう、また、国民一人びとりが、被災した各地域の上にこれからも長く心を寄せ、被災者と共にそれぞれの地域の復興の道のりを見守り続けていくことを心より願っています。
「WILL]五月号には、勝谷誠彦の「これは『平成の玉音放送』だ」(p242~245)という文がありました。
そこからも引用しておきます。はじまりは、
「これは『平成の玉音放送だ』。東北大地震についての天皇陛下のお言葉を聞きながら・・私はそう感じた。・・陛下はそれが必要だと思われたのだ。」
そして、昭和大帝に触れながらでした
「あの時も政府は機能不全に陥っていた。今回もまたそうである。愚かな首相が民間企業である東電に怒鳴り込み『100パーセント潰れる』と叫び、あるいは側近に『東日本はなくなる』などと喚(わめ)いていた。最高指揮官としてはもっともやってはならないことで、もはや錯乱状態と言っていい。陛下はそれをじっと見ておられて、やむにやまれず立ち上がられたのではないか。日本人にとって皇室が必要なのは『いざという時』だ。天災が起きるたびに両陛下は被災地を訪れられ、被災者を慰めてこられた。しかし、今回に関しては『今やらねばならない』と陛下はご決断なされたのだと私は拝察する。」
「お言葉」に出てくる「雄々しく」についても、指摘しておりました。
「終戦からはじめて迎える正月、昭和大帝は歌会始めでこういう御製(ぎょせい)を発表さえた。【 ふりつもるみ雪にたへていろかへぬ松ぞををしき人もかくあれ 】焼け野原に立ち尽くす国民に対して、降り積もる雪にもたえて緑を守る松をたとえに、『かくあれ』と鼓舞されているのだ。そして、その鼓舞の言葉が『ををしく』、すなわち『雄々しく』なのだった。これに気付いた時、私の涙はまた止まらなくなった。テレビがたれ流す映像は、避難民の頭上に、被災地の瓦礫の上に、霏々(ひひ)として雪が降り積もるさまを映し出している。・・・」
そして、勝谷氏はべらんめえになります。
「しかし、大マスコミは陛下のお言葉をブチブチに切りやがった。ウェブではアリバイのように全文を載せているが、新聞の多くは一部だけを伝えた。・・・・最初からテレビ各局は部分だけを流した。陛下は・・・緊急事態で途切れることはあっても、当然のことながら、全文は流れるだろうと信じておられたのである。それを大マスコミは裏切った。おそらく、その畏れ多さすら全く気付かぬままに・・・・」
とりあえず、朝日新聞の3月17日をとりだし、ひらきます。
一面にない。さがすと第二社会面に、それはありました。
ちょうど、朝日新聞の天声人語を縦にしたスペース、
その半分の幅に陛下のお写真。それがページ全面に占める記事のとりあつかいでした。一面の目次見出しにも、とりたてて表示はありませんので、誰かの指摘がないと、見失われかねない小さな情報として、それは掲載されておりました。
疲れるなあ、まんべんなく読まなければ、探し出せない記事。声欄の方を優先する、その扱い方に、あぜんとするのでした。こういうときに、普段の日の記事の取り扱い方の異常さがでてしまいます。
ちなみに、「WILL」五月号。p28~29に
「天皇陛下のお言葉 三月十六日」と全文掲載されております。
朝日新聞が掲載しないのなら、そこから、私が全文引用しておいても
無駄にはならぬ。初めて読まれる方が一人でもおられるならば
このたびの東北地方太平洋沖地震は、マグニチュード9.0という例を見ない規模の巨大地震であり、被災地の悲惨な状況に深く心を痛めています。地震や津波による死者の数は日を追って増加し、犠牲者が何人になるのかも分かりません。一人でも多くの人の無事が確認されることを願っています。
また、現在、原子力発電所の状況が予断を許さぬものであることを深く案じ、関係者の尽力により事態の更なる悪化が回避されることを切に願っています。
現在、国を挙げての救援活動が進められていますが、厳しい寒さの中で、多くの人々が、食糧、飲料水、燃料などの不足により、極めて苦しい避難生活を余儀なくされています。その速やかな救済のために全力を挙げることにより、被災者の状況が少しでも好転し、人々の復興への希望につながっていくことを心から願わずにはいられません。
そして、何にも増して、この大災害を生き抜き、被災者としての自らを励ましつつ、これからの日々を生きようとしている人々の雄々しさに深く胸を打たれています。
自衛隊、警察、消防、海上保安庁をはじめとする国や地方自治体の人々、諸外国から救援のために来日した人々、国内のさまざまな救援組織に属する人々が余震の続く危険な状況の中で日夜救援活動を進めている努力に感謝し、その労を深くねぎらいたく思います。
今回、世界各国の元首から相次いでお見舞いの電報が届き、その多くに各国国民の気持ちが被災者と共にあるとの言葉が添えられていました。これを被災地の人々にお伝えします。
海外においては、この深い悲しみの中で、日本人が取り乱すことなく助け合い、秩序ある対応を示していることに触れた論調も多いと聞いています。これからも皆が相携(たずさ)え、いたわり合って、この不幸な時期を乗り越えることを衷心(ちゅうしん)より願っています。
被災者のこれからの苦難の日々を、私たち皆が、さまざまな形で少しでも多く分かち合っていくことが大切であろうと思います。
被災した人々が決して希望を捨てることなく、身体(からだ)を大切に明日からの日々を生き抜いてくれるよう、また、国民一人びとりが、被災した各地域の上にこれからも長く心を寄せ、被災者と共にそれぞれの地域の復興の道のりを見守り続けていくことを心より願っています。
「WILL]五月号には、勝谷誠彦の「これは『平成の玉音放送』だ」(p242~245)という文がありました。
そこからも引用しておきます。はじまりは、
「これは『平成の玉音放送だ』。東北大地震についての天皇陛下のお言葉を聞きながら・・私はそう感じた。・・陛下はそれが必要だと思われたのだ。」
そして、昭和大帝に触れながらでした
「あの時も政府は機能不全に陥っていた。今回もまたそうである。愚かな首相が民間企業である東電に怒鳴り込み『100パーセント潰れる』と叫び、あるいは側近に『東日本はなくなる』などと喚(わめ)いていた。最高指揮官としてはもっともやってはならないことで、もはや錯乱状態と言っていい。陛下はそれをじっと見ておられて、やむにやまれず立ち上がられたのではないか。日本人にとって皇室が必要なのは『いざという時』だ。天災が起きるたびに両陛下は被災地を訪れられ、被災者を慰めてこられた。しかし、今回に関しては『今やらねばならない』と陛下はご決断なされたのだと私は拝察する。」
「お言葉」に出てくる「雄々しく」についても、指摘しておりました。
「終戦からはじめて迎える正月、昭和大帝は歌会始めでこういう御製(ぎょせい)を発表さえた。【 ふりつもるみ雪にたへていろかへぬ松ぞををしき人もかくあれ 】焼け野原に立ち尽くす国民に対して、降り積もる雪にもたえて緑を守る松をたとえに、『かくあれ』と鼓舞されているのだ。そして、その鼓舞の言葉が『ををしく』、すなわち『雄々しく』なのだった。これに気付いた時、私の涙はまた止まらなくなった。テレビがたれ流す映像は、避難民の頭上に、被災地の瓦礫の上に、霏々(ひひ)として雪が降り積もるさまを映し出している。・・・」
そして、勝谷氏はべらんめえになります。
「しかし、大マスコミは陛下のお言葉をブチブチに切りやがった。ウェブではアリバイのように全文を載せているが、新聞の多くは一部だけを伝えた。・・・・最初からテレビ各局は部分だけを流した。陛下は・・・緊急事態で途切れることはあっても、当然のことながら、全文は流れるだろうと信じておられたのである。それを大マスコミは裏切った。おそらく、その畏れ多さすら全く気付かぬままに・・・・」