和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

その日日本列島は。

2011-04-04 | 短文紹介
注文してあった古本が今日届く。
暮しの手帖編「戦争中の暮しの記録」。
読まないのですが、さっそくパラパラとめくってみる。
最初に32ページほど写真が掲載されており、写真のわきに言葉が並んでおります。
都会の廃墟には「戦場」と活字がついておりました。
はじまりの文

   〈戦場〉は
    いつでも
    海の向うにあった
    海の向うの
    ずっととおい
    手のとどかないところに
    あった

    ・・・・
    ・・・・

    いま
    その〈海〉をひきさいて
    数百数千の爆撃機が
    ここの上空に
    殺到している

    ・・・・・
    ・・・・・

    しかも だれひとり
    いま 〈戦場〉で
    死んでゆくのだ とは
    おもわないで
    死んでいった

    夜が明けた
    ここは どこか
    見わたすかぎり 瓦礫が
    つづき ところどころ
    余燼が 白く煙りを上げて
    くすぶっている
    異様な 吐き気のする臭いが
    立ちこめている
    うだるような風が 
    ゆるく吹いていた

    しかし ここは
    〈戦場〉ではなかった
    この風景は
    単なる〈焼け跡〉にすぎなかった
    ここで死んでいる人たちを
    だれも〈戦死者〉とは
    呼ばなかった
    この気だるい風景のなかを
    動いている人たちは
    正式には 単に〈罹災者〉
    であった
    それだけであった

    はだしである
    負われている子をふくめて
    この六人が 六人とも
    はだしであり
    六人が六人とも
    こどもである
    おそらく 兄妹であろう
    父親は 出征中だろうか
    母親は 逃げおくれたの
    だろうか

    ・・・・・
    ・・・・・

    しかし
    ここは〈戦場〉ではない
    ありふれた〈焼け跡〉の
    ありふれた風景の
    一つにすぎないのである

    ・・・・・
    ・・・・・

    はぐれたままであった
    朝から その人を探して
    歩きまわった
    たくさんの人が
    死んでいた
    誰が誰やら 男と女の
    区別さえ つかなかった
    それでも やはり
    見てあるいた

    生きていてほしい
    とおもった
    しかし じぶんは
    どうして生きていけば
    よいのか
    わからなかった

    どこかで
    乾パンをくれるという
    ことを聞いた
    とりあえず
    そのほうへ 歩いていって
    みようと おもった

    ・・・・・
    ・・・・・

    ・・ ここの
    この〈戦場〉で
    死んでいった人たち
    その死については
    どこに向って
    泣けばよいのか

    その日
    日本列島は
    晴れであった



今日は、この写真と言葉だけで充分。
写真のなかには、「焼跡の卒業式」という一枚もあります。



コメント (2)
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