谷沢永一著「紙つぶて 自作自注最終版」(文芸春秋)の自注に、
山崎正和対談集「沈黙を誰が聞く」(PHP研究所)からの引用があったので、それでは、というのでその対談集をひらいてみました。
すると、谷沢永一氏が引用した箇所は、最初のページからありました。
「私は大体、日本人の精神のバネはいつでも天災と、それに対する復興のエネルギーにあると思っているんです。・・・」
ちょい、気になったのは、谷沢氏が引用した箇所で、一部がカットされていることがわかります。うん。ここはそのままに引用してしまうと、すぐに誤解する方がおられるだろうという配慮からだと、察しがつきます。そのカットされた箇所を引用してみます。
「ある意味では黒船も災難でしたし、第二次大戦も私はその意味で災難だったと思うんです。普通いろいろな人が言うように、あれはりっぱなイデオロギーに立った聖戦でもないし、逆にいえば侵略戦争でもなく日本人にとっては自然の災難に近いものだったと思うんですよね。」
この省略したあとに谷沢氏は「その、災難があるとはね返していくというのが日本人のエネルギーの源泉だとすると、『戦後』が終わったというか、大体60年ごろに災難は一応終わったという感じがきたんじゃないか。」という引用をつづけておりました。
思うのは、菅直人首相で、首相は昭和21年生まれ。
戦後生まれが大手を振って議論をしてゆくなか、
戦中世代は、どんどんといなくなってしまうのでした。
たとえば、もうすぐ曽野綾子さんのようなコラムは読めない、
ということになってゆくのでしょうね。このままだと、
戦後世代を見守る世代が、あとわずかで消えてゆくなか、
菅直人のような方が、どんどんとお増えになってゆく潮流となります。歴史は関東大震災のあとにはもう戦争への足音。さきに引用した箇所で、この戦争を山崎正和氏は「あれは・・逆にいえば侵略戦争でもなく日本人にとっては自然の災難に近いものだったと思うんですよね」と語っておりました。この東日本大震災の政府の舵取りが、戦争回避への舵取りとなってゆくわけです。数日前の参議院会議で首相は「国民にも一定の評価を頂いている」と堂々語っておりました。その評価する「国民」には、私は入りたくありませんと、明確な意思表示をしなければ(ちゃんと言っておかないと)、どうもこうも認めたことになりそうです。
4月18日に国会中継がありました。
「参議院予算委員会集中審議」それを私は午後の途中から見ておりました。
ああ、首相の言葉はコダマなんだなあ。と思いながら。
ところで、山崎正和対談集「沈黙を誰が聞く」には大岡信氏との対談も入っておりまして、
そこから、一箇所引用。おそらく、ここがこの対談集の題名になった箇所なんだと思えるところです。
山崎】 ・・・いった世界は不可解なものだと知り、自然は何も自分に語りかけてくれないという恐怖感に落ち込んで、その沈黙の中にことばを発する。それがおそらく聖書の最初のことばであったろうと思うんです。そういうふうに考えると、キリスト教文明にしろ仏教文明にせよ、あらゆるものが沈黙の中にことばを出すことであったと思う。・・・・・最初のうちは沈黙の中に自分がことばを投げ出す緊張感があったのでしょうけれども、やがて他人のことばに対して自分のことばを出してゆく。良く言えば対話ですけれども、悪く言えばコダマみたいなものですね。そういうかたちでやってゆくようになった。・・・・全部、ある他人に対する個性であり、ある他人に対する独創性であって、沈黙の中への投げ入れという緊張感はなくなってきたんじゃないか。それが現在までくると一種のアニミズムまで来た。そこでつぎにくるのはもう一度沈黙であって、だれが最初にその沈黙を聞くかというところに来ているんじゃないかという気がする。」(p162~163)
震災のあとに、各党首会談をひらいてみたり、どんどん会議を発足していく方向性というのは、私には、ただ恐怖感から目をそらして、ただただ緊張感なく「他人のことばに対して自分のことばを出してゆく・・・悪く言えばコダマみたいなもの」にもたれる構図と見えてくるのでした。
山崎正和対談集「沈黙を誰が聞く」(PHP研究所)からの引用があったので、それでは、というのでその対談集をひらいてみました。
すると、谷沢永一氏が引用した箇所は、最初のページからありました。
「私は大体、日本人の精神のバネはいつでも天災と、それに対する復興のエネルギーにあると思っているんです。・・・」
ちょい、気になったのは、谷沢氏が引用した箇所で、一部がカットされていることがわかります。うん。ここはそのままに引用してしまうと、すぐに誤解する方がおられるだろうという配慮からだと、察しがつきます。そのカットされた箇所を引用してみます。
「ある意味では黒船も災難でしたし、第二次大戦も私はその意味で災難だったと思うんです。普通いろいろな人が言うように、あれはりっぱなイデオロギーに立った聖戦でもないし、逆にいえば侵略戦争でもなく日本人にとっては自然の災難に近いものだったと思うんですよね。」
この省略したあとに谷沢氏は「その、災難があるとはね返していくというのが日本人のエネルギーの源泉だとすると、『戦後』が終わったというか、大体60年ごろに災難は一応終わったという感じがきたんじゃないか。」という引用をつづけておりました。
思うのは、菅直人首相で、首相は昭和21年生まれ。
戦後生まれが大手を振って議論をしてゆくなか、
戦中世代は、どんどんといなくなってしまうのでした。
たとえば、もうすぐ曽野綾子さんのようなコラムは読めない、
ということになってゆくのでしょうね。このままだと、
戦後世代を見守る世代が、あとわずかで消えてゆくなか、
菅直人のような方が、どんどんとお増えになってゆく潮流となります。歴史は関東大震災のあとにはもう戦争への足音。さきに引用した箇所で、この戦争を山崎正和氏は「あれは・・逆にいえば侵略戦争でもなく日本人にとっては自然の災難に近いものだったと思うんですよね」と語っておりました。この東日本大震災の政府の舵取りが、戦争回避への舵取りとなってゆくわけです。数日前の参議院会議で首相は「国民にも一定の評価を頂いている」と堂々語っておりました。その評価する「国民」には、私は入りたくありませんと、明確な意思表示をしなければ(ちゃんと言っておかないと)、どうもこうも認めたことになりそうです。
4月18日に国会中継がありました。
「参議院予算委員会集中審議」それを私は午後の途中から見ておりました。
ああ、首相の言葉はコダマなんだなあ。と思いながら。
ところで、山崎正和対談集「沈黙を誰が聞く」には大岡信氏との対談も入っておりまして、
そこから、一箇所引用。おそらく、ここがこの対談集の題名になった箇所なんだと思えるところです。
山崎】 ・・・いった世界は不可解なものだと知り、自然は何も自分に語りかけてくれないという恐怖感に落ち込んで、その沈黙の中にことばを発する。それがおそらく聖書の最初のことばであったろうと思うんです。そういうふうに考えると、キリスト教文明にしろ仏教文明にせよ、あらゆるものが沈黙の中にことばを出すことであったと思う。・・・・・最初のうちは沈黙の中に自分がことばを投げ出す緊張感があったのでしょうけれども、やがて他人のことばに対して自分のことばを出してゆく。良く言えば対話ですけれども、悪く言えばコダマみたいなものですね。そういうかたちでやってゆくようになった。・・・・全部、ある他人に対する個性であり、ある他人に対する独創性であって、沈黙の中への投げ入れという緊張感はなくなってきたんじゃないか。それが現在までくると一種のアニミズムまで来た。そこでつぎにくるのはもう一度沈黙であって、だれが最初にその沈黙を聞くかというところに来ているんじゃないかという気がする。」(p162~163)
震災のあとに、各党首会談をひらいてみたり、どんどん会議を発足していく方向性というのは、私には、ただ恐怖感から目をそらして、ただただ緊張感なく「他人のことばに対して自分のことばを出してゆく・・・悪く言えばコダマみたいなもの」にもたれる構図と見えてくるのでした。