和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

桜前線。

2011-04-24 | 地域
昨日、新聞の歌壇をとりあげたせいか。
そういえば、日曜日の東京新聞には
岡野弘彦・佐佐木幸綱お二人が選者になっている東京歌壇があったなあと、朝コンビニへ新聞を買いにいってきました。
佐佐木幸綱選の一首目は

 照明を落とした暗いスーパーに卵はありて牛乳はなし
      (千葉市 石橋佳の子)

選評は「明るいスーパー、いつも何本でも好きなだけ買える牛乳。
    かつての日常が日常ではなくなった感慨。」


岡野弘彦氏が選んだ歌は、桜前線と花が最初にならんでおりました。
その二首を引用するまえに、
「1995年1月・神戸 『阪神大震災』下の精神科医たち」(みすず書房)から引用させてください。そこに中井久夫の「災害がほんとうに襲った時」という文が掲載されておりました。そこに花にまつわる話があります。

「・・・2月6日、加賀乙彦氏は一ボランティアとして大学精神科に来られた。氏は私の要請に応えて多量の花を背負い子にかついでやってこられた。黄色を主体とするチューリップなどの花々は19箇所の一般科ナース・ステーション前に漏れなくくばられ、患者にもナースにも好評であった。暖房のない病棟を物理的にあたためることは誰にもできない相談である。花は心理的にあたためる工夫の一つであった。・・・・看護管理室に居合わせたナースたちは加賀さんに会いたいと五、六人が用を作って現れた。一人が色紙をさし出した。私は、これは『ミーハー』的行為ではないと思った。皆、加賀さんの花のことを知っていた(「花」が大事だという発想は皇后陛下と福井県の一精神科医とがそれぞれ独立にいだかれたものという。『花がいちばん喜ばれる』ということを私は土井先生からの電話で知った)。」(p56~58)


別の箇所では、ナースのことにも触れておられました。

「・・・・被災ナースは百人を越えた。にもかかわらず、彼女らは勤務を優先させ、帰宅さえしなかった。彼女らの多くは家財を掘り出しにゆく時間さえなかった。既婚ナースの夫と子どもとはよくその負担に耐えた。・・・三日不休で働き、おにぎり一つありついたのは三日目だったという。総じてロジスティックス(兵站)という概念の欠如がめだった。このように飲まず食わずでも持ち場を放棄しない日本人の責任感にもたれかかって補給を軽視した50年前の日本軍の欠陥は形を変えて生き残っていた。」(p32)


もう一箇所、花にまつわるところ。

「現在、もっとも喜ばれた一つに、福井県の精神科医がかついできた大量の水仙の花がある。われわれスタッフも、避難所を訪問する時に花を携えてゆくようにしたいが、いかんせん、入手が困難である。皇居の水仙を皇后が菅原市場跡に供えて黙禱されたのは非常によいタイミングであったというほかない。・・・両陛下にまさる、心のこもった態度を示せた訪問政治家がいなかったことである。」(p61)


引用が長すぎたでしょうか。
では岡野弘彦選の一首目と二首目を

 一億の心なごませ北上す桜前線まもなく被災地
     (港区 松井須美江)

選評は「日本列島を咲きのぼる桜前線は、
    いま被災地の野山にとどこうとしている。
    心のなごむ日もない人々の心の鎮めのために。」

 いつまでも地震の衝撃引きずりてうつろなるわれも花になごまむ
     (狛江市 舘岡靖子)

選評は「東日本はまだ余震のつづく不安感からのがれられないでいる。
    人の心を浄化してくれるような桜に、心をゆだねよう。」
コメント
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