今日は文芸春秋の発売日。
近所の本屋さんに届けてもらう。
でも、読んだのは一箇所だけ。
宮崎駿氏と半藤一利氏の対談
「『風立ちぬ』戦争と日本人」。
宮崎駿監督の最新映画(7月20日公開)を見ての対談。
それを読んでから、
あらためて、本棚から
宮崎駿著「本へのとびら」(岩波新書・2011年10月20日)をとりだす。
その新書の最後の章は「3月11日のあとに」と題しておりました。
この映画にふれながら、文ははじまっておりました。
そこははぶいて、この箇所を引用。
「風が吹き始めました。
この20年間、この国では経済の話ばかりしてきました。まるではちきれそうなほど水を入れた風船のようになっていて、前にも後にも進めない。何時破裂するのかヒヤヒヤしながら、映像やらゲームやら、消費行動やら、健康やら、犬を飼ったり、年金を心配したりして、気を散らしながら、けっきょく経済の話ばかりしてきました。不安だけは着々とふくらんで、20歳の若者も60歳も区別がつかなくなりました。
何かが起こるだろうという予感は、みなが持っていたように思います。それでも、どんなに立派な戦争より、愚かな平和のほうが尊いと思うようにしていました。
そして、突如歴史の歯車が動き始めたのです。
生きていくのに困難な時代の幕が上がりました。この国だけではありません。破局は世界規模になっています。おそらく大量消費文明のはっきりした終わりの第一段階に入ったのだと思います。」(p150~151)
うん。ここだけ引用しても何にもならないなあ。
対談を読んでいると、
「零戦や九六式艦上戦闘機などの名機を設計した堀越二郎という実在の人物を主人公に」(p95)して、「堀越二郎を堀辰雄の世界に送り込むという着想」へと言及しておりました。
お二人は一歳違い。
堀越二郎1903年生まれ。
堀辰雄は1904年生まれ。
ちなみに、
竹山道雄は1903年生まれ。
平川祐弘著「竹山道雄と昭和の時代」(藤原書店)に
竹山道雄と堀辰雄の関係が数か所で語られております。
そのはじまりに
「国文科の堀辰雄は一年下であった。
堀もやはり四年修了で一高理乙にはいった。
堀は神西清ともっとも親しく、それで竹山とも親しくなった。堀は文転して国文科へ進んだが、震災で母を失くした。当時の堀は西洋に心酔しており国文学に興味を示さず、竹山が堀のために『紫式部日記』についてなど二つのレポートを手伝ってやったこともある。竹山の当時のペン・ネーム青木晋は堀が藤村『春』の作中人物から拾ってつけたものである。」(p53)
うん。この夏はジブリより竹山道雄。
近所の本屋さんに届けてもらう。
でも、読んだのは一箇所だけ。
宮崎駿氏と半藤一利氏の対談
「『風立ちぬ』戦争と日本人」。
宮崎駿監督の最新映画(7月20日公開)を見ての対談。
それを読んでから、
あらためて、本棚から
宮崎駿著「本へのとびら」(岩波新書・2011年10月20日)をとりだす。
その新書の最後の章は「3月11日のあとに」と題しておりました。
この映画にふれながら、文ははじまっておりました。
そこははぶいて、この箇所を引用。
「風が吹き始めました。
この20年間、この国では経済の話ばかりしてきました。まるではちきれそうなほど水を入れた風船のようになっていて、前にも後にも進めない。何時破裂するのかヒヤヒヤしながら、映像やらゲームやら、消費行動やら、健康やら、犬を飼ったり、年金を心配したりして、気を散らしながら、けっきょく経済の話ばかりしてきました。不安だけは着々とふくらんで、20歳の若者も60歳も区別がつかなくなりました。
何かが起こるだろうという予感は、みなが持っていたように思います。それでも、どんなに立派な戦争より、愚かな平和のほうが尊いと思うようにしていました。
そして、突如歴史の歯車が動き始めたのです。
生きていくのに困難な時代の幕が上がりました。この国だけではありません。破局は世界規模になっています。おそらく大量消費文明のはっきりした終わりの第一段階に入ったのだと思います。」(p150~151)
うん。ここだけ引用しても何にもならないなあ。
対談を読んでいると、
「零戦や九六式艦上戦闘機などの名機を設計した堀越二郎という実在の人物を主人公に」(p95)して、「堀越二郎を堀辰雄の世界に送り込むという着想」へと言及しておりました。
お二人は一歳違い。
堀越二郎1903年生まれ。
堀辰雄は1904年生まれ。
ちなみに、
竹山道雄は1903年生まれ。
平川祐弘著「竹山道雄と昭和の時代」(藤原書店)に
竹山道雄と堀辰雄の関係が数か所で語られております。
そのはじまりに
「国文科の堀辰雄は一年下であった。
堀もやはり四年修了で一高理乙にはいった。
堀は神西清ともっとも親しく、それで竹山とも親しくなった。堀は文転して国文科へ進んだが、震災で母を失くした。当時の堀は西洋に心酔しており国文学に興味を示さず、竹山が堀のために『紫式部日記』についてなど二つのレポートを手伝ってやったこともある。竹山の当時のペン・ネーム青木晋は堀が藤村『春』の作中人物から拾ってつけたものである。」(p53)
うん。この夏はジブリより竹山道雄。