和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

五里霧中にいた。

2013-07-27 | 短文紹介
気になったので、
竹山道雄氏の知名度を確認しようと、
「ノーサイド」1995年5月号の、特集「読書名人伝」をとりだす。
うん。この雑誌たまたま身近に置いてあったのでした(笑)。
ひょっとして、こういうのに出てくるかなあと思ったのですが
そこには、竹山道雄氏は登場していない。
うん。そんなものか。
それにしても、もったいない。
取りあげる人がいなかったのだ。


講談社学術文庫の竹山道雄著「主役としての近代」に
「春望」という文がありました。
こうはじまります。

「昭和20年の元旦はしずかだった。・・われわれは情報にうえていた。ニュース・ソースをもっている人のまわりには人が集って、むさぼるように『真相』をきいた。それは断片的には意外なほど正確なこともあったが、全体としてはわれわれはつねに五里霧中にいた。そのせいであろう、前途に対する絶望的な見とおしは、実感としては、最後までなかった。」

そのあとに、こんなエピソードがあるのでした。

「学校ではときどき人をよんで講演をきいた。それには役人その他の中にあっての話の分る人がえらばれた。ある外交官は非常に率直だったので外部で問題となったことがあったが、大ていの講演は国民に希望をもたせるというこの頃にきめられていた枠を出たものではなかった。
そうした講演の後では、少数の人のあつまる座談会があった。ここでの講師の話は前とは調子がちがっていた。なかば得意の苦笑を交えつつ、『ここだけの話だが』と前おきして、戦況はわるい、実ははなはだわるい、といった。しかし、そんなときに、もし誰かが思いきって『それでは敗ける心配はないのか』ということを仄めかす質問でもしようものなら、講師は驚愕して、不機嫌に『そういうことをきかれるのは遺憾である。・・いま、若い人たちは身命を捨てて戦いつつあるではないか』と答えるのであった。
あの頃の気持は悪夢の中とよく似ていた。・・・」(p28~29)


ちなみに、竹山道雄著「時流に反して」(文藝春秋)には
「若い世代」と題した昭和20年7月22日に
第一高等学校寄宿寮全寮晩餐会にて、学生に語った文が載っております。

そういえば、と
坪内祐三著「考える人」(新潮社)をひらく、
こちらにも竹山道雄は登場していなかった。
コメント
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