竹山道雄の「ビルマの竪琴ができるまで」に、こんな箇所がありました。
「戦中は敗戦については知らされないし、戦後も戦争にふれることは一切タブーだし、われわれはずいぶん後になるまで、戦争についての具体的な事実は知りませんでした。実地のことは、さっぱり分りませんでした。」(新潮文庫・p197~198)
その竹山氏が、昭和30年以降に、ベルリン・モスクワと現地へ、いとわず出かけるのでした。
竹山道雄著「歴史的意識について」(講談社学術文庫)に
ベトナム戦争についてふれた語りがありました。
「・・・良識のある人は、ベトナム戦争においても北ベトナムのことはなかなかわからない。知らないから、判断を慎重にせざるを得ないと思うから、むやみな発言はしない。だが、運動を進める方はやっぱり知らないのだけれど、知らないままにむやみなことを言う。そうするとかなわない。残念ながら、デモクラシー社会では、短見な感情論の方がともすると勝つ。」(p108)
これは「人間は世界を幻のように見る」のなかにあるものでした。
この文の最後には、こんな箇所。
「ヒットラーは一国また一国と犯していったが、その度ごとに演説をして一言『平和!』と叫ぶと、人々は『さあ平和だ』と安心して、その憤激を忘れた。ミュンヘン会議でチェコを犠牲にして平和を保つと決定されたときには、イギリス人もフランス人も大歓呼の声をあげた。・・しかし、すぐ後に大戦争がおこった。
こういう歴史的経験は忘れられる。依然として、平和攻勢はもっとも有効な戦略である。
人々はただ目先の苟安(こうあん)しか考えない。やはり、『人間が歴史から学ぶことはただ一つ。それは人間は歴史からは何も学ばないということである』のだろうか?・・・」(p116~117)
「戦中は敗戦については知らされないし、戦後も戦争にふれることは一切タブーだし、われわれはずいぶん後になるまで、戦争についての具体的な事実は知りませんでした。実地のことは、さっぱり分りませんでした。」(新潮文庫・p197~198)
その竹山氏が、昭和30年以降に、ベルリン・モスクワと現地へ、いとわず出かけるのでした。
竹山道雄著「歴史的意識について」(講談社学術文庫)に
ベトナム戦争についてふれた語りがありました。
「・・・良識のある人は、ベトナム戦争においても北ベトナムのことはなかなかわからない。知らないから、判断を慎重にせざるを得ないと思うから、むやみな発言はしない。だが、運動を進める方はやっぱり知らないのだけれど、知らないままにむやみなことを言う。そうするとかなわない。残念ながら、デモクラシー社会では、短見な感情論の方がともすると勝つ。」(p108)
これは「人間は世界を幻のように見る」のなかにあるものでした。
この文の最後には、こんな箇所。
「ヒットラーは一国また一国と犯していったが、その度ごとに演説をして一言『平和!』と叫ぶと、人々は『さあ平和だ』と安心して、その憤激を忘れた。ミュンヘン会議でチェコを犠牲にして平和を保つと決定されたときには、イギリス人もフランス人も大歓呼の声をあげた。・・しかし、すぐ後に大戦争がおこった。
こういう歴史的経験は忘れられる。依然として、平和攻勢はもっとも有効な戦略である。
人々はただ目先の苟安(こうあん)しか考えない。やはり、『人間が歴史から学ぶことはただ一つ。それは人間は歴史からは何も学ばないということである』のだろうか?・・・」(p116~117)