和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

日々に近し。

2013-07-30 | 短文紹介
WILL9月号の渡部昇一氏の連載「書物のある人生」は、もう23回。
きちんと毎回読んでいるわけじゃないのですが、読めば得するなあ(笑)。

さて今回は、夏目漱石「こころ」と原勝郎「日本中世史」をとりあげておりました。
どちらも興味深いのですが、ここでは、

「漱石が『こころ』を書く約10年前、第一高等学校での彼の教え子の藤村操が日光・華厳の滝で投身自殺をした。・・漱石が教壇に立って英語を教え始めて1ヵ月ぐらいの時である。漱石も衝撃を受ける。その後、十数名の学生が華厳の滝で自殺する。哲学死、思想死という新現象が起きたのである。
のちに漱石のところに出入りするようになった安倍能成は、この藤村の妹と結婚している。・・・」(p290~291)

なにげない箇所ですが、「藤村操の妹」というのは、普通、どなたも書かないだろうなあ。

竹山道雄著作集4(福武書店)には、「安倍能成先生のこと」(昭和56年)という文が入っております(ちなみに、竹山道雄は昭和59年死去)。
こうはじまります。

「安倍さんはよほど特別な人で、没後十何年たった今になっても懐かしい。思い出さない日はほとんどないかもしれない。去る者日々に近しである。・・・一つには、安倍さんが戦中戦後に一高の校長であったときに近く親炙してこきつかわれたからでもあったろうが、何よりも先生がその独特の天稟からこちらの魂をつかみとってしまったからでもあった。
先生は強烈な自我としみじみとした魂の深さをもっていた。教養人で思索と弁論に長け、また芸術的天分があったけれども、同時に常識から突出して野生むきだしにしてもいた。このユニックな人物について、せめて私が接した横顔とそれへの懐かしさを記そうと思うのだけれども、相手が大きいだけに難しい。」(p198)

こうしてはじまる25頁。
回想は、欠点までも浮き上がらせてゆく知的正直さがあり、
今日の普通のエッセイでは、誹謗中傷になるようで、読む者をハラハラさせます。
たとえるなら、三木清を回想する、ある人の文章が浮かんだりします。
コメント
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