和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

「甲乙丙丁」の竹山道雄。

2013-07-12 | 短文紹介
竹山道雄著「歴史的意識について」(講談社学術文庫)をめくっていたら、
「人間は世界を幻のように見る」の中に、こんな箇所

「中野重治が私について『甲乙丙丁』という本で次のように書いている。『・・・・この筆者は落ちついた筆を持っている。少しのことを、手際よく順序だてて諄々と説きあかすといったスタイルを持っている。説きあかすといっても説教じみてはいない。文章そのものが、言葉使も含めて上品でもあり、構成が論理的でもある。・・・・どっちにも片寄らぬ公正な立場、人間本位、人間を本位としての自由というところから書かれているが、そのままが人をいらいらさせるものに映ってくる。・・・その上その言分がまた筋が通っている。その優雅でさえある全体が、そのまま卑俗そのものとなる。しどろもどろになることがない。上等の御殿女中のように、あるのろさのテンポでしとやかな切り口上で相手を追いつめてゆく。それがまわりの俗衆に毒のある煽情となって波紋をひろげてゆく。云々』
中野氏は、私が論理的であり筋も通っていると認めているのだが、それがどうして『そのまま卑俗そのもの』になり『まわりの俗衆に毒のある煽情となる』のかは、説明していない。これではどうにも対話になりようがない。・・理性は抜きである。」(p65~66)

うん。引用の最後の中野重治氏による歴史的な独断を注意してとりのぞけば、
これは、見事な竹山道雄の文章の紹介となっているのでした。
ここだけでも、
まるで、竹山氏の文章に追いつめられてゆく中野重治がいる。そんな気がしてきます。
といっても、「甲乙丙丁」は未読。
そっちに脱線するよりも、
この夏、私は竹山道雄なんだ。
コメント
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