今年は7月19日(金曜日)が学校の終業式。
もう、学校は夏休みなのか。
さっそく土・日曜日には、
中学生でしょうか、クラブ活動の大会があるようで、
家の前をよその学校の生徒がジャージ姿で通り過ぎ。
午後には、逆に駅へと向かう集団がありました。
さてっと、夏が過ぎれば始業式(笑)。
「大正12年9月1日、中学三年生の私は、第二学期の始業式に出席しました。式は簡単に済みましたから、11時過ぎには家へ帰つたように思います。何しろ暑い日なので、半袖のシャツとパンツだけという恰好になつて、暑い、暑い、と言いながら、昼飯を食べました。卓袱台(ちゃぶだい)には初物の里芋が出ていました。」
これは、清水幾太郎著「私の心の遍歴」にある「大震災は私を変えた」という章のはじまりでした。つぎも少し引用してみます。
「食べ終つて、お茶を飲んでいる時、猛烈な震動が来ました。震動と一緒に、頭がポーッとしてしまいました。どうしてよいか判らぬうちに、眼の前で、床の間の柱がミリミリと折れる、というより、粉々に砕けて、天井がドシンと頭の上に落ちて来て、真暗になつてしまいました。・・・」
ここで、途中を端折って、引用したいのは、避難の様子なのでした。
その箇所をみてみます。
「・・・私たちは、間もなく、動き出しました。亀戸の町は、いつか、暗くなつています。広くもない往来を埋めて、手に手に荷物を持つた群集がノロノロと流れて行きます。どこへ行くのか、誰も知らないのです。・・・・群集の中に融け込んでからも、私は、時々、妹と弟との名を呼びました。いくら、呼んでも、反応はありません。けれども、私が呼ぶと、群集の流れの中から、同じ肉親を呼ぶ声がひとしきり起つて来ます。それも無駄だと判ると、再び以前の沈黙が戻つて来ます。沈黙が暫く続くと、どこからともなく、ウォーという呻くような声が群集の流から出て来ます。この声を聞くと、私も、思わず、ウォーと言つてしまうのです。言うまいとしても、身体の奥から出てしまうのです。言葉を知らぬ野獣が、こうして、その苦しみを現わしているのです。私たちは、ウォーという呻きを発しながら、ノロノロと、暗い町を進んで行きました。
その晩は、東武線の線路で寝ました。寝たというより、真赤な東京の空を眺めて夜を明かしたというべきでしょう。その間にも、頻繁に揺り返しが来ます。揺り返しの度に、線路に寝ている人たちの間から、悲しみと恐れとに満ちた叫びが出て来ます。原つぱの真中にいるのですから、いくら揺れても、危険はないのですし、失う品物も何一つないのですが、それでも、大変な悲鳴が起るのです。・・・」(p295~299)
以上は、「清水幾太郎著作集 10」(講談社)より引用しました。
夏休みあけの始業式。
その日、世界が変ってしまったのでした。
もう、学校は夏休みなのか。
さっそく土・日曜日には、
中学生でしょうか、クラブ活動の大会があるようで、
家の前をよその学校の生徒がジャージ姿で通り過ぎ。
午後には、逆に駅へと向かう集団がありました。
さてっと、夏が過ぎれば始業式(笑)。
「大正12年9月1日、中学三年生の私は、第二学期の始業式に出席しました。式は簡単に済みましたから、11時過ぎには家へ帰つたように思います。何しろ暑い日なので、半袖のシャツとパンツだけという恰好になつて、暑い、暑い、と言いながら、昼飯を食べました。卓袱台(ちゃぶだい)には初物の里芋が出ていました。」
これは、清水幾太郎著「私の心の遍歴」にある「大震災は私を変えた」という章のはじまりでした。つぎも少し引用してみます。
「食べ終つて、お茶を飲んでいる時、猛烈な震動が来ました。震動と一緒に、頭がポーッとしてしまいました。どうしてよいか判らぬうちに、眼の前で、床の間の柱がミリミリと折れる、というより、粉々に砕けて、天井がドシンと頭の上に落ちて来て、真暗になつてしまいました。・・・」
ここで、途中を端折って、引用したいのは、避難の様子なのでした。
その箇所をみてみます。
「・・・私たちは、間もなく、動き出しました。亀戸の町は、いつか、暗くなつています。広くもない往来を埋めて、手に手に荷物を持つた群集がノロノロと流れて行きます。どこへ行くのか、誰も知らないのです。・・・・群集の中に融け込んでからも、私は、時々、妹と弟との名を呼びました。いくら、呼んでも、反応はありません。けれども、私が呼ぶと、群集の流れの中から、同じ肉親を呼ぶ声がひとしきり起つて来ます。それも無駄だと判ると、再び以前の沈黙が戻つて来ます。沈黙が暫く続くと、どこからともなく、ウォーという呻くような声が群集の流から出て来ます。この声を聞くと、私も、思わず、ウォーと言つてしまうのです。言うまいとしても、身体の奥から出てしまうのです。言葉を知らぬ野獣が、こうして、その苦しみを現わしているのです。私たちは、ウォーという呻きを発しながら、ノロノロと、暗い町を進んで行きました。
その晩は、東武線の線路で寝ました。寝たというより、真赤な東京の空を眺めて夜を明かしたというべきでしょう。その間にも、頻繁に揺り返しが来ます。揺り返しの度に、線路に寝ている人たちの間から、悲しみと恐れとに満ちた叫びが出て来ます。原つぱの真中にいるのですから、いくら揺れても、危険はないのですし、失う品物も何一つないのですが、それでも、大変な悲鳴が起るのです。・・・」(p295~299)
以上は、「清水幾太郎著作集 10」(講談社)より引用しました。
夏休みあけの始業式。
その日、世界が変ってしまったのでした。