和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

見落とされている問題。

2013-07-24 | 短文紹介
今日の産経新聞。
その国際欄にワシントン=佐々木類氏の記事がありました。見出しは「中国軍 行動予想しにくい」「米専門家から警戒論噴出」とあるのでした。記事の最後を引用すると


「米国防大戦略研究所のT・X・ハムズ上級研究員が『旧ソ連とはそれなりにうまくやってきた。ソ連軍が何を考えているかが分かり、次を予想できたからだが、中国軍は、だれが軍を制御しているのか不明で、行動を予測できない』と懸念を表明した。」


中国といえば、
長谷川慶太郎著「中国大分裂」(実業之日本社・2012年7月)には

「・・日本ではほとんど見落とされている問題があります。それはこの熾烈を極める『路線闘争』が現政権対人民解放軍の形を取っている点です。本来なら党の完全なコントロールを受けているはずの人民解放軍が、実態面では党中央のコントロールから離脱しているだけでなく、状況によっては党に対して反乱を起こす可能性が強まっているのです。こうした判断を持たざるを得ない情勢が定着していることを隣国にありながら、日本はほとんど無視しています。」(p2)

ところで、
中国のお隣・日本の戦時体制は
どのようなものだったのか?
というのを、竹山道雄著「昭和の精神史」から
引用してみたいと思います。

「種村参謀はそれを書いている。長いけれども、大切なところだから拝借して引用する。・・・・総理大臣が主宰する内閣には、実際には陸海軍の編成大権輔弼責任者として陸海軍大臣があり、外交大権輔弼責任者として外務大臣が存していた。・・閣議は全員一致でなければ成立しないことは、内閣官制で決められていた。・・こうして見てくると、日本の旧憲法では、戦争指導上の責任者は究極のところはっきりせず、いわば寄合世帯だったのである。・・最高指導者のなかったことに関連して、統帥権の独立と陸海軍の対立的存在とは、戦争指導を困難にした最大の原因であった。・・支那事変が始まったときだった。時の総理近衛文麿公は、軍がどこまで兵を進め如何なる意図をもつのか、殆ど統帥については知らなかった。新聞記事で戦況を知るくらいのものであった。陸海軍のやることを、あれよあれよと見送るよりほかに手はなかったといってもいいくらいだった。・・・そこで昭和12年11月大本営の設置と同時に、大本営政府連絡会議を設け、重要な議題は前もって議決することにしたのである。これは憲法上にない戦時特別の措置であるが、その規定がなかなかむずかしく、連判しなければ会議を開くことも出来ない有様で、その運営は極めて窮屈なものであった。・・・一方陸海軍の軍政軍令に関しては、相互に協議を要する事項以外は、陸軍限り海軍限りでやって一切相手に束縛をうけず、極端にいえば秘密にしているから、相互に相手の事情がさっぱりわからない。また協議を要する問題になると、これを裁くものがないから、むずかしくなれば、折半するかどちらか妥協するかしなければ、始末がつかなかったのである。・・・」


昭和の、内閣と陸海軍の問題を無視して通れば、
現代中国の共産党と人民解放軍の問題などは、
まずもって、想起しようがないのだろうなあ。
コメント
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