新刊の石井桃子著「家と庭と犬とねこ」(河出書房新社)は
うすいピンクのカバーなのでした。パラパラひらくと
はじめのほうに「都会といなか」という文。
文のはじまりは「戦争中や戦争がおわってすぐのころは・・」でした。
その文から引用。
「私は個人的なこのみからいって、いなかがすきだ。いなかはしずかだし、木があり、鳥がいる。戦争ににつかれてしまって、あっちへいったり、こっちへいったりしていたとき、ある日、白ユリの咲いている谷まに出た。『ここに住もう?』と、私はそのときいっしょにいた友人に言ったのだが、何ヵ月かたつと、ほんとにそこに住むことになってしまった。私が、日本の農村というところに住んだのは、それがはじめてだった。何もかも気にいった。骨のみしみしするほどの力仕事も苦しくなかった。里の花も鳥も、かあいらしく、友たちのように見えた。
それが、ある時、東京へ出た。なんて、ごみごみした、人のいっぱいいるところだろうと思った。ある婦人大会があるというので、友だちにつれられて、いってみた。いく人かの有名な人たちが、演説をした。さかんな拍手がおこった。聴集のなかからも、何人か飛び入りが出て、演説をした。みんなわざとらしかった。ただ気勢をあげるために、しゃべっているように思われた。感想を書けといって、紙をまわしてよこしたので、私は、『都会では、なんというわざとらしいことがおこなわれているのでしょう。鳥の声をきき、けものといっしょに暮らして来た者の耳には、みんなうそにきこえます。』と書いてだしたら、後になって、その大会をたたえた感想だけが読みあげられ、緊急動議が出、まえまえからつくってあったらしい緊急決議文が新しくきまった。私は、そらおそろしくなって、いなかに帰った。東京は、私の住むところではないと思った。
その私が、また東京に出て来たわけは、一つには、農村では、たべていけないからである。私は、友だちとふたりで、じぶんたちのつくった豆畑や、大根をながめながら、満足して、長嘆息した。『これで、たべていけたらねえ、これで、たべていけらねえ。』と、私たちは、くり返し、くり返し言ったのである。」(p24~25)
うすいピンクのカバーなのでした。パラパラひらくと
はじめのほうに「都会といなか」という文。
文のはじまりは「戦争中や戦争がおわってすぐのころは・・」でした。
その文から引用。
「私は個人的なこのみからいって、いなかがすきだ。いなかはしずかだし、木があり、鳥がいる。戦争ににつかれてしまって、あっちへいったり、こっちへいったりしていたとき、ある日、白ユリの咲いている谷まに出た。『ここに住もう?』と、私はそのときいっしょにいた友人に言ったのだが、何ヵ月かたつと、ほんとにそこに住むことになってしまった。私が、日本の農村というところに住んだのは、それがはじめてだった。何もかも気にいった。骨のみしみしするほどの力仕事も苦しくなかった。里の花も鳥も、かあいらしく、友たちのように見えた。
それが、ある時、東京へ出た。なんて、ごみごみした、人のいっぱいいるところだろうと思った。ある婦人大会があるというので、友だちにつれられて、いってみた。いく人かの有名な人たちが、演説をした。さかんな拍手がおこった。聴集のなかからも、何人か飛び入りが出て、演説をした。みんなわざとらしかった。ただ気勢をあげるために、しゃべっているように思われた。感想を書けといって、紙をまわしてよこしたので、私は、『都会では、なんというわざとらしいことがおこなわれているのでしょう。鳥の声をきき、けものといっしょに暮らして来た者の耳には、みんなうそにきこえます。』と書いてだしたら、後になって、その大会をたたえた感想だけが読みあげられ、緊急動議が出、まえまえからつくってあったらしい緊急決議文が新しくきまった。私は、そらおそろしくなって、いなかに帰った。東京は、私の住むところではないと思った。
その私が、また東京に出て来たわけは、一つには、農村では、たべていけないからである。私は、友だちとふたりで、じぶんたちのつくった豆畑や、大根をながめながら、満足して、長嘆息した。『これで、たべていけたらねえ、これで、たべていけらねえ。』と、私たちは、くり返し、くり返し言ったのである。」(p24~25)