モンサラット著(吉田健一訳)「怒りの海」下巻(新潮社)に
艦船が沈み、筏で漂流している状況を描いている箇所があるのでした。
「喧嘩を始めたり、眠気に負けたりして人が次々に死んで行く有様は、宴会をやっていて客が一人帰り、二人帰りする工合をロックハートに連想させた。船が沈んでから間もない頃は人間ももっとずっと多くて、それぞれ十何人かのものを乗せて廻りにも何人か取り付いている二つの筏は、一面に油で蔽われて静かにうねっている海の上を・・・・
ロックハートも死ななかったが、その晩のうちに何度も自分が何のためにまだ生きているのか解らない感じになった。彼は夜の大部分を彼の担当である第二号の筏の脇で過して、夜が明けかけた頃に筏ががら空きになってから、筏によじ登った。・・・そしてもう何の望みも残っていないと決めていいそれだけの条件と戦いながら、もう一度頑張って見なければならない気になって、夜が明けるまで自分と自分の部下の命を長らえさせる決心をした。彼は部下のものに歌を歌わせ、手足を動かしていさせ、話をさせて、眠らずにいさせるように努めた。彼は部下のもの達の顔に平手を食わせ、彼等を蹴り、彼等が目を覚して筏にしがみ付かなければならなくなるまで筏を揺り続けた。彼は自分が知っている限りの猥談をして聞かせ・・・彼は部下のものに遊戯をさせ、フェラビイが黙り込んでしまっているのを無理矢理にけし掛けて、記憶しているだけの詩を暗誦させた。彼はラジオで好評の番組に出演する人物の声色を真似て見せて、他のものにもさせた。彼は部下のものに『ヴォルガの船唄』を歌いながら、筏をぐるぐる同じ場所を漕ぎ廻らせ、子供の頃にやったことがある遊びを思い出して、筏に乗っているものを三つに分け、『ロシア』、『プロシア』、『オオストリア』と皆で一緒に叫ばせた。そうするとその結果が、大きなくしゃみのように聞えるのだった。・・・・筏に乗っているものは彼も、彼の声も、彼の馬鹿げた楽天主義も、全くやり切れなくなって来た。彼等はロックハートを明らさまに罵り、彼は同じ卑しい言葉で罵り返して、港に着き次第、営倉に叩き込んでやるからと言った。
彼は、それだけの元気とエネルギーが自分のどこから出て来るのか解らなかった。彼が筏に上って来た時は体が冷え切っていて、思うように動かなくて、みじめな気持になっていたが、そういう馬鹿げた騒ぎ方をしているうちに生気を取り戻して来て、それが他のものの一部にも伝わった。そしてその中のあるものはロックハートがしていることの意味を呑みこんで、自分達もロックハートと一緒になって馬鹿騒ぎを始め、それで部下の何人かが助かった。・・・」
ところで、
ニコラス・モンスラット著(吉田健一訳)「怒りの海」は
1992年に至誠堂から出ている本では、題名が
「非情の海」となっておりました。
その「非情の海」下巻が
「第四部 1942年激戦」からはじまっており、
ここに筏の箇所があるのでした。
引用よりもけっこう長い文章なので、
あらためて読み直してみたくなります。
艦船が沈み、筏で漂流している状況を描いている箇所があるのでした。
「喧嘩を始めたり、眠気に負けたりして人が次々に死んで行く有様は、宴会をやっていて客が一人帰り、二人帰りする工合をロックハートに連想させた。船が沈んでから間もない頃は人間ももっとずっと多くて、それぞれ十何人かのものを乗せて廻りにも何人か取り付いている二つの筏は、一面に油で蔽われて静かにうねっている海の上を・・・・
ロックハートも死ななかったが、その晩のうちに何度も自分が何のためにまだ生きているのか解らない感じになった。彼は夜の大部分を彼の担当である第二号の筏の脇で過して、夜が明けかけた頃に筏ががら空きになってから、筏によじ登った。・・・そしてもう何の望みも残っていないと決めていいそれだけの条件と戦いながら、もう一度頑張って見なければならない気になって、夜が明けるまで自分と自分の部下の命を長らえさせる決心をした。彼は部下のものに歌を歌わせ、手足を動かしていさせ、話をさせて、眠らずにいさせるように努めた。彼は部下のもの達の顔に平手を食わせ、彼等を蹴り、彼等が目を覚して筏にしがみ付かなければならなくなるまで筏を揺り続けた。彼は自分が知っている限りの猥談をして聞かせ・・・彼は部下のものに遊戯をさせ、フェラビイが黙り込んでしまっているのを無理矢理にけし掛けて、記憶しているだけの詩を暗誦させた。彼はラジオで好評の番組に出演する人物の声色を真似て見せて、他のものにもさせた。彼は部下のものに『ヴォルガの船唄』を歌いながら、筏をぐるぐる同じ場所を漕ぎ廻らせ、子供の頃にやったことがある遊びを思い出して、筏に乗っているものを三つに分け、『ロシア』、『プロシア』、『オオストリア』と皆で一緒に叫ばせた。そうするとその結果が、大きなくしゃみのように聞えるのだった。・・・・筏に乗っているものは彼も、彼の声も、彼の馬鹿げた楽天主義も、全くやり切れなくなって来た。彼等はロックハートを明らさまに罵り、彼は同じ卑しい言葉で罵り返して、港に着き次第、営倉に叩き込んでやるからと言った。
彼は、それだけの元気とエネルギーが自分のどこから出て来るのか解らなかった。彼が筏に上って来た時は体が冷え切っていて、思うように動かなくて、みじめな気持になっていたが、そういう馬鹿げた騒ぎ方をしているうちに生気を取り戻して来て、それが他のものの一部にも伝わった。そしてその中のあるものはロックハートがしていることの意味を呑みこんで、自分達もロックハートと一緒になって馬鹿騒ぎを始め、それで部下の何人かが助かった。・・・」
ところで、
ニコラス・モンスラット著(吉田健一訳)「怒りの海」は
1992年に至誠堂から出ている本では、題名が
「非情の海」となっておりました。
その「非情の海」下巻が
「第四部 1942年激戦」からはじまっており、
ここに筏の箇所があるのでした。
引用よりもけっこう長い文章なので、
あらためて読み直してみたくなります。