竹山道雄著「時流に反して」(文藝春秋・「人と思想」シリーズ)にある
「白磁の杯」を読む。
そのはじまりは
「どういうわけか私は夏休みになると、古いシナの本が読みたくなります。むしあつい気温の中には、何かわれわれの空想をそそって、遠い古い世界へと誘うものがあるようです。」
「そして、私はちかごろ、一つの古いシナの白磁の杯を見ました。・・・これは北シナの子牙河(しがか)のほとりの鉅鹿(きょろく)というところから出たものだそうです。ここはこのような白磁の名産地だったということです。
友人は説明してくれました。
『この鉅鹿という町は、宋の徽宗皇帝の大観三年(いまから八百四十五年前)に、洪水のために埋ってしまいました。このことは宋の歴史にも記載されているのですが、町のものはすっかりなくなって忘れられていました。それが、近年になってこの地方に日照りがあって、井戸を掘ったところが、地下からむかしの町がでてきました。往来も家も当時のままです。人も寝床にねたままの姿です。よほど急な洪水だったと見えて、逃げる暇もなかったのでしょう。こういう陶器類はそこでの日常品だったのです。・・・』」
そのあとに、作者は、この物語を語るきっかけにふれておりました。
「これをきいて、私はふしぎに思いました。
『いくら急な洪水だといっても、人々が寝床にねたままでいたというのは、おかしいなあ。起き上がるのがめんどうくさかったのかしらん。・・・』・・この話は私の空想をそそりました。・・・・イタリアのポンペイの遺跡からも寝たままの人間が掘りだされたということですが、あれは火山の噴火が原因だったのですから、人々は急な毒ガスのために瞬時に死んでしまったのでしょう。それとも、一つの町がすっかりほろびるような異変がおこるときには、何か特別な事情があって、人間は安らかに眠りつづけたままで屍になるのでしょうか・・・?』」
「この空想がだんだんとつもって、一つのお話になりました。」
うん。読みすすむと、
民主党が政権を取っていた際に、
「コンクリートから人へ」と主張して、防災へのカネを減らせば、財源が潤うのだという語りかけを思い浮かべながら読みました。
ちなみに、竹山道雄著作集に入っている『白磁の杯』には「あとがき」がありませんでした。「時流に反して」にある『白磁の杯』には「あとがき」があります。
その「あとがき」も紹介。
はじまりは、
「これは『新女苑』に昭和29年から30年にかけて連載したものである。・・・安倍能成先生が読んでくださって、『新女苑の読者には分らんだろう』と笑われた。」
とあります。
「あとがき」で気になったのは
「昭和29年は、集団妄想の年だった。人間の認識というものはじつにふしぎなものだ、という感に堪えなかった。・・」という箇所があったことでした。
「白磁の杯」を読む。
そのはじまりは
「どういうわけか私は夏休みになると、古いシナの本が読みたくなります。むしあつい気温の中には、何かわれわれの空想をそそって、遠い古い世界へと誘うものがあるようです。」
「そして、私はちかごろ、一つの古いシナの白磁の杯を見ました。・・・これは北シナの子牙河(しがか)のほとりの鉅鹿(きょろく)というところから出たものだそうです。ここはこのような白磁の名産地だったということです。
友人は説明してくれました。
『この鉅鹿という町は、宋の徽宗皇帝の大観三年(いまから八百四十五年前)に、洪水のために埋ってしまいました。このことは宋の歴史にも記載されているのですが、町のものはすっかりなくなって忘れられていました。それが、近年になってこの地方に日照りがあって、井戸を掘ったところが、地下からむかしの町がでてきました。往来も家も当時のままです。人も寝床にねたままの姿です。よほど急な洪水だったと見えて、逃げる暇もなかったのでしょう。こういう陶器類はそこでの日常品だったのです。・・・』」
そのあとに、作者は、この物語を語るきっかけにふれておりました。
「これをきいて、私はふしぎに思いました。
『いくら急な洪水だといっても、人々が寝床にねたままでいたというのは、おかしいなあ。起き上がるのがめんどうくさかったのかしらん。・・・』・・この話は私の空想をそそりました。・・・・イタリアのポンペイの遺跡からも寝たままの人間が掘りだされたということですが、あれは火山の噴火が原因だったのですから、人々は急な毒ガスのために瞬時に死んでしまったのでしょう。それとも、一つの町がすっかりほろびるような異変がおこるときには、何か特別な事情があって、人間は安らかに眠りつづけたままで屍になるのでしょうか・・・?』」
「この空想がだんだんとつもって、一つのお話になりました。」
うん。読みすすむと、
民主党が政権を取っていた際に、
「コンクリートから人へ」と主張して、防災へのカネを減らせば、財源が潤うのだという語りかけを思い浮かべながら読みました。
ちなみに、竹山道雄著作集に入っている『白磁の杯』には「あとがき」がありませんでした。「時流に反して」にある『白磁の杯』には「あとがき」があります。
その「あとがき」も紹介。
はじまりは、
「これは『新女苑』に昭和29年から30年にかけて連載したものである。・・・安倍能成先生が読んでくださって、『新女苑の読者には分らんだろう』と笑われた。」
とあります。
「あとがき」で気になったのは
「昭和29年は、集団妄想の年だった。人間の認識というものはじつにふしぎなものだ、という感に堪えなかった。・・」という箇所があったことでした。