和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

秋の蚊の。

2014-10-05 | 詩歌
増進会出版社の子規選集第一巻は
長谷川櫂編で「子規の三大随筆」。

いままで、文庫でパラパラ読みして
いったい、何を読んでいたのだろうと
あらためて、思ってしまう一冊。
っていうか、子規選集の読み始め(笑)。

長谷川櫂氏の巻末解説には、この随筆について

「『仰臥漫録』は新聞のために書かれた
『墨汁一滴』や『病牀六尺』とは違って
子規の日記である。もともと発表する
つもりはない。」

中江兆民の随筆集について
「『一年有半』が発表されたとき、子規は
『仰臥漫録』を書き始めたばかりだった。」

「生涯の傑作となる『病牀六尺』は・・
子規はそこでこう記す。

 余は今まで禅宗のいわゆる悟りということを
誤解して居た。悟りということはいかなる場合
にも平気で死ぬることかと思って居たのは間違
いで、悟りということはいかなる場合でも平気
で生きて居ることであった。(明治35年6月2日)

壮絶としかいいようのないことを淡々と書いている。
このくだりは『病牀六尺』の白眉であるばかりか、
子規という人を最もよく表わす一節だろう。
子規三十五年の生涯がこのわずか数行に凝縮されて
いる。この言葉通り子規は生き腐れの責め苦に
さいなまれながら平気で生きた人であった。
狂気の恐怖にさらされながら自分をいつでも
やや離れたところから眺めていた人だった。
それができた理由の一つは子規が言葉を使え
る人であったからだろう。言葉は苦しみもが
く自分とは別に、そうした自分を冷静に観察
するもう一人の自分を造りだす。ヴェルギリウス
に導かれて地獄を巡ったダンテのように、子規は
言葉を携えて静かに病床のかたわらに立ち、
自分自身の地獄を眺めるのである。」(p461~462)


あれ。さりげなくもダンテが登場。

う~ん。ダンテの地方にも
蝿や蚊や蝉がいたのかなあ?

ということで、仰臥漫録から
蝿や蚊の句を、適当にひろってみる。


 湿気多く汗ばむ日なり秋の蝿

 秋もはや塩煎餅に渋茶哉

 秋の蝿殺せとも猶尽きぬかな

 人問わばまだ生きて居る秋の風

 病床のうめきに和して秋の蝉

 虫の声滋(しげ)し歌よみならば歌よまん

 痩臑(やせすね)に秋の蚊とまる憎きかな

 秋の蚊の源左衛門と名乗けり

 秋の蚊のよろよろと来て人を刺す
 
 残る蚊や飄々として飛んで来る
コメント
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