仰臥漫録のなかの
明治34年10月20日に
こんな箇所。
「同楽の手紙に曰く
過般(かはん)『日本』紙上【墨汁一滴】やみ
また俳句も不出相成(いでずあいなり)候節は
まことに落胆致候
しかしまた『週報』に御選句之出(いで)候ゆえ
いささか力を得候えども小生は
もし御訃音(ごふいん)之広告出候かと
『日本』来るごとに該欄(がいらん)を
真先に披見致居(ひけんいたしおり)候・・・
真率にしていささかも隠さざるところは
はなはだ愛すべし
晩餐虚子とともにす 鰻の蒲焼、ふじ豆、
柚みそ、飯一わん、粥二わん、柿二つ、
無花果(いちじく)二つ
夕刻前便通及びホータイ取替、夜便通 」
以下は、長谷川櫂氏の解説から
子規は明治35年9月19日、
35歳で結核のためになくなる。・・
二十代の終わりにはカリエスと診断される。
これは菌が骨にまで感染して患部を溶かし、
化膿させる結核の末期的な症状である。
明治34年10月20日に
こんな箇所。
「同楽の手紙に曰く
過般(かはん)『日本』紙上【墨汁一滴】やみ
また俳句も不出相成(いでずあいなり)候節は
まことに落胆致候
しかしまた『週報』に御選句之出(いで)候ゆえ
いささか力を得候えども小生は
もし御訃音(ごふいん)之広告出候かと
『日本』来るごとに該欄(がいらん)を
真先に披見致居(ひけんいたしおり)候・・・
真率にしていささかも隠さざるところは
はなはだ愛すべし
晩餐虚子とともにす 鰻の蒲焼、ふじ豆、
柚みそ、飯一わん、粥二わん、柿二つ、
無花果(いちじく)二つ
夕刻前便通及びホータイ取替、夜便通 」
以下は、長谷川櫂氏の解説から
子規は明治35年9月19日、
35歳で結核のためになくなる。・・
二十代の終わりにはカリエスと診断される。
これは菌が骨にまで感染して患部を溶かし、
化膿させる結核の末期的な症状である。