和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

老人の多いドラマ。

2014-10-14 | 短文紹介
産経新聞10月12日の読書欄には
佐々淳行著「私を通りすぎた政治家たち」
これを田久保忠衛氏が書評しておりました。

「どれも面白いが、とりわけ痛快なのは
加藤紘一論と小沢一郎論だろう。」

書評の最後は

「誰もこれまで試みなかった歴代の
駐日米大使の人物月旦も面白く、
しばし時の経つのも忘れる思いをした。」


平川祐弘著「日本の正論」を
井口優子氏が書評しております。

はじまりは

「今年83歳の、比較文化史家、平川氏の
複眼的思考を支える経験と知識、
『私の眼の黒いうちは右顧左眄せず書く』
の凛とした姿勢に圧倒される本である。」

最後の方に

「本のタイトルは編集者の発案だが、
『自分の論を【正論】だなどと言い張る人は
どこか怪しい。自分の主張は【天の声】だなど
と名乗る大新聞を怪しいと思うのと同然(略)
読者諸賢はなにとぞ眉に唾つけて、いま一度
本書にお目を通してください。ご意見、ご異見
を謹んで承りたいと存じます。』この言葉に
のせられて読むこと四度五度。」


うん。ここに四度五度。
次は、三度三度を紹介(笑)。

この読書欄で気になったのは
「新仕事の周辺」に山田太一氏が書いてる。
そこから引用。

「老人の多いドラマを書こうとしていた。
取材でいくつかの老人ホームを歩いた。
入居者の症状が重くて、息詰まるくらい
静かなホームがあったり、カラオケ大会、
絵てがみ、コーラス、ダンスまで用意されて
いるホームもあり、そのどちらのあり方も
現実に老人を引き受けてみて、とりあえず
他の方法はないだろうという切実さに満ちて
いたから、私になにかをいう資格などないのだ
けれど、この世界の奥行きは、ちょっと途方に
くれるくらいまだまだ奥が深いのではないかと
思った。
たとえば三度三度の食事の心配をしなくていい
ことがどんなに嬉しいかという人と、それがない
ことがどんなに一日をながくしているか、
こみあげるようにスーパーへ行きたい、
献立を考えたい台所に立ちたいと呟く人もいた。
その人はすぐ『でも、私はまだまだ恵まれている
のよね』と微笑した。ホームの平穏は、スタッフの
努力と共に老人たちの諦めと抑制で維持されている
と感じた。・・・・・」

そして最後はというと

「ホームには、歳月をかけて厚くつもった魂が
ぎっしりあって、そのほとんどが口にされていない
という思いがあとを引いているのだった。」
コメント
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