気になっていた、
丸谷才一著「文学のレッスン」(新潮文庫)
を購入。これは湯川豊氏が聞き手の談話。
パラリと最後をひらくと、
最後は「詩は酒の肴になる」という章。
その章の最後を引用したくなる(笑)。
「詩のテクストがあってそれを読者が享受する
という場が大事なので、ほんとうは一つの文明の
なかにその場がなければ、詩はないわけです。
大岡信が日本古典文学論をあれだけ書いたのは、
その詩の場を求めようとしたからなんですね。
現代の詩人たちは、世界的に見てもそれを探して
いる。エリオットとかヴァレリーの評論だって
みなそういう動機があるんです。萩原朔太郎が
書いた評論だって同じことですね。詩人が批評家に
なって、文明評論を書くところに追いつめられて
きているのが現代の文学的状況なんです。
新聞の時評を見ると、文芸時評という小説の
評判記と論壇時評という政局論と景気論の
評判記はあるけれど、誰も文明なんか論じない。
言葉の問題なんか論じない。こういう社会じゃ
詩は無理なんですね。・・・・・
吉田(健一)さんは、一杯飲んでるとき、丸谷さん、
あなたの好きな詩はどんな詩ですか、みたいなことを
いう。僕が英語の詩で覚えているのを数行、16世紀の
トマス・ナッシュの詩かなんかをいうと、ああといって、
くちゅくちゅと口のなかで繰り返す。そして、
ああきれいだな、とかいって喜ぶ。カラスミとウニを
食べるような感じなんですよ。詩が酒の肴になるのね。
僕はなるほど詩というものはこんなふうにして
楽しむものか、と思いました。
(2009年8月11日、東京・麻布) 」
さしあたり、私など評判記を読んで、
この年まで来てしまった。
と思わずにいられません。
丸谷才一著「文学のレッスン」(新潮文庫)
を購入。これは湯川豊氏が聞き手の談話。
パラリと最後をひらくと、
最後は「詩は酒の肴になる」という章。
その章の最後を引用したくなる(笑)。
「詩のテクストがあってそれを読者が享受する
という場が大事なので、ほんとうは一つの文明の
なかにその場がなければ、詩はないわけです。
大岡信が日本古典文学論をあれだけ書いたのは、
その詩の場を求めようとしたからなんですね。
現代の詩人たちは、世界的に見てもそれを探して
いる。エリオットとかヴァレリーの評論だって
みなそういう動機があるんです。萩原朔太郎が
書いた評論だって同じことですね。詩人が批評家に
なって、文明評論を書くところに追いつめられて
きているのが現代の文学的状況なんです。
新聞の時評を見ると、文芸時評という小説の
評判記と論壇時評という政局論と景気論の
評判記はあるけれど、誰も文明なんか論じない。
言葉の問題なんか論じない。こういう社会じゃ
詩は無理なんですね。・・・・・
吉田(健一)さんは、一杯飲んでるとき、丸谷さん、
あなたの好きな詩はどんな詩ですか、みたいなことを
いう。僕が英語の詩で覚えているのを数行、16世紀の
トマス・ナッシュの詩かなんかをいうと、ああといって、
くちゅくちゅと口のなかで繰り返す。そして、
ああきれいだな、とかいって喜ぶ。カラスミとウニを
食べるような感じなんですよ。詩が酒の肴になるのね。
僕はなるほど詩というものはこんなふうにして
楽しむものか、と思いました。
(2009年8月11日、東京・麻布) 」
さしあたり、私など評判記を読んで、
この年まで来てしまった。
と思わずにいられません。