和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

トウダイモト暗シ。

2014-10-24 | 短文紹介
「20世紀を通してハーン評価の浮き沈みは
まことに激しかった。高橋節雄(1878~1971)は
松江中学でハーンから習い、海軍兵学校を卒業、
日本海海戦にも参加した。1907年、日本製の巡洋艦
筑波で世界一周したが、各地で高橋はハーンの直弟子
ゆえに珍重され『全く先生の余韻に尾して世界を歩いた
様なものであった』。西洋で日本人を見かけると話しかけ
てきた人にはハーンの読者が多かった。そのことは
1931年の市河夫婦の世界一周のときまでなお続いた。
しかし、国際社会における日本の評価の低下に比例して
ハーンの評価も米英では低下した。1944年、米国の
軍用船に『ラフカディオ・ハーン号』と命名しようとした
とき非難の大合唱が起こり米国海軍省は愛国者の名前に
改名すると声明したほどである。日本の外国研究者は
本国での評価を気にする人たちである。秀才や才媛であれば
あるほど米英の動向に敏感となる。戦後の東大英文科では
中野好夫教授が1946年9月号の『展望』に小泉八雲を
論じていちはやくけなした。そのせいでもあるまいが、
東大にはハーン関係資料が多く保存されているにも
かかわらず、きちんとしたハーン研究者は出てこない。
『トウダイモト暗シ』とはまさにこのことであろう。
一人の作家について日本側と西洋側でかくも好悪が
分かれるのはなぜか。その評価の食い違いこそ
比較研究の好対象となるのではあるまいか。」

(「ラフカディオ・ハーンの英語クラス」弦書房より
p14~15を引用)
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