昨日届いた古本は
杉本節子著「京町屋の四季」(展望社)。
本30円+送料300円=330円でした。
帯つき、カバーも本文も真新しい。
ネットオフアマゾン店(愛知県大府市柊山町)
からでした。
写真が、本文のところどころの頁にあります。
「正月仏壇」という写真に、そえられるようにして
語られてゆく文を、ここに引用してみることに。
「元日の朝、西本願寺の門徒である我が家では、
仏間に家族一同が集まり新年の挨拶を交わすのが
しきたりである。
『子供の頃、お正月て、ほんまに大嫌いやった』
と、苦虫を噛み潰したような顔で言う父に
理由をきくと、早朝6時前には来訪する分家家族を
仏間に迎え入れ、お仏壇を正面に左右に分かれて対面し
『あけましておめでとうございます。旧年中は・・・』
と型通りの挨拶を済ませなくてはならず
このために5時すぎにたたき起こされて、
火鉢すらおかない仏間の冷たい畳に正座させられる
というこの儀式がとても苦痛だったのだ・・・
・・・・・・・・
寛保3年(1743)創業の呉服商であった
この家の代々受け継がれてきた
下京の商家としての風習を、
純粋に体験することが出来たのは
父の代までのことになるのだろう。
商売を継がず文学の道を選んだ父は
幼い日の記憶と怠け心も半分あってのことか、
娘三人にはこの慣わしを押しつけようとはしなかった。
本来なら主がまず読経せねばならないのだが、
父の読経を私はいまだきいたことがない。」
(p10~13)
はい。
この「苦虫を噛み潰したような顔で言う」父
というのが、杉本秀太郎。
そして、次女杉本節子さんが、この本の著者。
杉本節子さんは、1965年の京都生まれ。
ちなみに、この方の文章を、どう説明すればよいか?
簡潔という言葉でさえ、ぎょうぎょうしく思えるような、
なめらかな文章。しかも、わたしみたいな読者にも、
襟を正させるような、忘れてしまっていた言葉への、
佇まいを感じさせてくれるのでした。
ちょいと、先祖のことも引用してみます。
「他の門徒のおうちのことはよく知らないけれど、
我が家には年神さんを迎えるという風習はなく
歳徳棚はない。裏白や干柿、昆布などで飾った
お鏡餅もない。
往時、西本願寺の勘定役を仰せつかっていた
という厚い帰依の証(あかし)からか、
商売繁盛を祈る神棚さえ置かず、
無病息災、家内安全も
すべて阿弥陀さまと祖先からの教えを信じ、
心の依りどころとしてきたのだ。
・・・・
時代によって改められたところが随所にある。
一番新しく改正されたのが、
昭和30年(1955)頃のこと・・・・
その時代、当主だった祖父は、婿嗣子として
家業の呉服商を継いだ人である。
江戸半(なかば)すぎから
他国店持(たこくだなもち)京商人と
呼ばれた商売形態で、
主に下総に販路を広げた店であったから、
祖父も当地へおもむくことが多く、
小学生の頃、おじいちゃんと呼ぶその人が、
遠来のお客さんのような印象を孫娘は持ったものだった。
主が留守がちであり、また戦後、時代が激動するさ中、
この家の暮らしぶりも変化を余儀なくされたことが、
けじめやしきたりを稀薄にしていった理由なのだろうと思う。
人の出入りも減り、正月の来客用の重詰も、
いつしか不要のものとなっていた。」(p14~15)
はい。はじまりの文章を引用しました。
本願寺の勘定役と、「下総へ販路を広げ」ということから、
浄土真宗と関東との、つながりについて、
その道筋を思い浮かべてみたくなります。