森浩一著「京都の歴史の足元からさぐる」(学生社)。
「洛東の巻」「洛北・上京・山科の巻」「北野・紫野・洛中の巻」、
以上三巻を、何となく手元に置いております。
わたしは、まえがきを読むだけですが、
それだけでも、いろいろ考えさせられます(笑)。
第1巻目の「はじめに」の最後は、2007年5月1日とあり、
「東福寺を借景にしている書斎にて 森浩一」とある。
第2巻目の「はじめに」には
「いま、ぼくは東福寺の境内を見下ろす書斎でこれを書いている。
・・・本の山はときどき片付けて小さくなりはするが、2,3日もたつと
また高い山になる。これからもこの状態は続くだろう。
なおこの部屋には冷暖房の装置はつけていない。
冷暖房をいれると頭の動きが鈍る。以上のことを書きそえて
『はしがき』を終えることにする。 2008年2月15日 森浩一 」
ちなみに、この第2巻に、
「禅宗の法堂は本堂というより、
僧たちが問答をする講堂の役割があると常々おもっている。
毎月一度は、東福寺の法堂から僧が問答をする大きな声が、
ぼくの書斎まで聞こえてくる。」(p195)
はい。つぎは第3巻目です(笑)。
「はじめに」の最後の日付をみると、2008年7月17日とある。
では引用。
「ぼくの誕生日は7月17日である。この日は祇園祭の
山鉾巡行の日で・・・今年の7月17日でぼくは満80歳になる。
・・・・・
今、近所を歩く僧侶の托鉢の声がとどいてきた。
月に一度ほど、数人で組んだ托鉢の僧が回ってくる。
妻はいつも心付を渡している。
今の時代、修業をつづける若者は珍しく、
激励しているのであろう。
托鉢の声をかき消すように、
書斎の軒先に釣り下げた風鈴が涼しそうではあるが、
鋭い音をひびかせ始めた。先日、仕事場近くの寺町通りで
求めたガラス製の風鈴だが、なかなか音色がよい。
托鉢の低音にたいして高音といってよさそうな
風鈴のかもしだす音のハーモニーに、
しばらく執筆の手を止めてしまった。
これもある種の仏教音楽である。
続きは仕事場で書こう。・・・」
ちなみに、「はじめに」の最後は
「御幸町の仕事場にて 森浩一」とありました。
検索すると、考古学者の森浩一氏は
2013年8月6日85歳で亡くなられております。
もどって、「京都の歴史を足元からさぐる」の
第1巻目が「洛東の巻」からでした。
「わが家と東福寺の間は、ブロック堀があるだけである。
二階にある書斎からは東福寺の伽藍の屋根の甍を見下ろせる。」
(p20)
うん。第1巻目の「はじめに」をあらためて引用しておくことに。
「・・・いま78歳の半ばにきている。・・・・
5年ほどまえから腎臓と心臓を悪くし、
人工透析をうけ胸にはペースメーカーをいれながら
の生活になり、病院ですごす時間が多くなった。
・・・・・・・・・
そのような制約があるなかで出来ることとは何か。
のこされた時間を集中するにふさわしいことは
何かを模索した。
ふと気がつくと『京都の歴史を足元からさぐる』ことが
のこされている。このことは地域史の総集としても
やっておくべきことになりそうである。
それと日本とは何かとかアジア各地との関係も、
京都のどこかでふれることもできそうだと考え、
手始めにわが家の近くの東福寺から書きだした、
というのがこの本の誕生の契機である。
だから足元から少しずつさぐりだした、
というのがいつわりのない気持であるし、
やりはじめるといままで知らなかったことが
ずいぶんわかってきた。
こういう機会が生まれたのは幸運だった。」
はい。「洛東の巻」の目次をみると、
第一部「わが家の足元から京都を見る」。
その1章が「家から歴史をたどる」
その2章は「東福寺をめぐって考えること」
その3章は「稲荷山への信仰」
・・・・という具合にはじまっておりました。