司馬遼太郎・林屋辰三郎「歴史の夜咄」(小学館ライブラリー)。
その「あとがき」は林屋さんでした。
うん。楽しいので、そこから引用。
「だいたい、座談とか対談という企画は、終わったとき
の何となく空虚さや後悔を感ずることが多いのだが、
司馬さんとの語らいは、いつも充足したよろこびを
感じたものである。
そして一回一回が、『一期一会(いちごいちえ)』
という気持ちにもなった。・・・・・
いうまでもなく、この言葉は安土桃山時代の茶人、
山上宗二(やまのうえのそうじ)が言った茶湯者の覚悟で、
一生に一度限りの会合という茶事の実意を表わしたものだが、
幕末に井伊直弼が好んで用いたことで、一般にひろまった。
お互いに何の用意もするわけではなかったが、そうした会合を
連想するような雰囲気があったことはたしかで・・・
うれしく想い起される。」
うん。長くなるけれど、もう少し引用(笑)。
「そのような茶会からの連想で、秋から冬にかけての
夜長にもたれる茶事『夜咄(よばなし)』が、おのずから
この書物の題名になった。古人が静かにゆらぐ灯の下で
語り合ったのは、どんなことであったろうか。もとより
知ることはできないが、茶の湯の世界の伝書が
だいたい聞書の形をとっていることを考えると、
あるいは夜咄の記録であったかも知れないと、
ふと思うのである。
それにしても
『咄』という字は、うれし文字である。
武将の側近に仕えたという咄衆などは、
たしかに夜咄の話相手であった。
武功談も滑稽談もあったろう。
そうしたなかの諸国の世事の見聞などは、
西鶴が『諸国咄』としてまとめている。いわば『咄』は、
浮世をえがいた江戸文学の母胎ともなったのである。
この『歴史の夜咄』がどのように読まれるか、
読者の方の歴史への興味を少しでも
引きおこすことに役立つならば、この上なく有難い。
そして『咄』の文字のように、口から出まかせではなにしても、
自由で気楽な夜咄の機会を与えられたことに、
深く感謝したい。・・」
はい。私はパラパラ読みで申し訳ないのですが(笑)
読むよりも安い古本を買うのが楽しみなので、
つぎに
林屋辰三郎編『歴史のなかの都市』(日本放送出版協会)
林屋辰三郎対談集『聚楽の夜咄』(淡交社)
とそろえて
本棚には
「日本人の知恵」(中公文庫)と
「日本史のしくみ」(中公文庫)と
「現代の大和ごころ 新・国学談」(角川文庫)
といっしょに並べております。
はい。本はいつでも、開いてくださいと
待っていてくれるのに、私は読まない(笑)。