祇園祭。
2020-02-08 | 京都
森浩一著「京都の歴史を足元からさぐる」(学生社)の
「北野・紫野・洛中の巻」が届く。
ネットの古本で注文。新風堂書店とあります。
212円+送料350円=562円でした。昨日届く。
帯はないのですが、カバーもページもきれい。
ページをパラパラめくると新刊の手触りです。
うん。このシリーズは、どうやら6冊でているようですが、
他の巻は、編者がいるので、どうやら、ご本人が書かれたのは
この3冊までのような感じをうけました。
うん。わたしはこの3冊で十分です(笑)。
さてっと、この本にこんな指摘がありました。
「祇園祭のことを詳しく書くとそれだけで、
一冊の本になるので、今回はごく簡単にする。
ぼくは長年この祭を見ているうちに
『祇園祭は動く歴史博物館』だと痛感するようになった。」
(p254)
そうか、祇園祭は、取り扱い注意なんですね(笑)。
下手に触れると、底の浅さを見破られる。
かえって、わたしみたいな素人には、気が楽です。
物怖じせずに、とりあげることに。
まずは、「梅棹忠夫の京都案内」(角川選書)。
ここに、「町衆(まちしゅう)の活気」という小見出し
(p20~22)があります。
短いので全文引用したいのはやまやまですが
一部だけ引用します(笑)。
「京都の祭といえば、だれでもきっと祇園祭を
おもいうかべることとおもいます。
ほんとうに活気にみちたはなやかな、
文字どおり日本一のお祭りですが、
あれは、じつは京都の町人のお祭りなのです。
・・近世の町人たち・・その町衆のお祭りなのです。
当時、京都の市中には角倉家、あるいは茶屋家のように、
海外貿易でもうけた大金もちをはじめ、たくさんの
町人がすんでいて、ひじょうないきおいをえてきました。
祇園祭は、そういうあたらしくおこってきた町人階級の
人たちが、自分たちのいきおいをみせるための、
デモ行進のようなものとかんがえればよろしいでしょう。
もちろん、町人のしたには、町人にもなれない
貧乏な人たちがたくさんいたわけですが、
祇園祭の鉾(ほこ)のうえにのって・・・・
はやしているのは、その金もちの町人の旦那衆で、
鉾のつなをひっぱっているのは、
町人にもなれない貧乏な人たちだったのです。
いま、鉾のつなひきには、大学の学生さんたちで、
アルバイトででているひとがおおいようです。
祇園祭の鉾の柱は、海外貿易が禁止になったので、
不要になった貿易船の帆柱を利用したものという
いいつたえがあります。」
うん。この一文を読んでから、
祇園祭の写真を見ていると、どれも、
たしかに、ひっぱり手は大学生らしい
雰囲気の人たちがいるいる(笑)。
うん。ひっぱり手よりも、ここでは
祇園祭の山と鉾に注目。
杉本秀太郎著「新編洛中生息」(ちくま文庫)の
最後の章は「神遊び」となっており、
「祇園祭について」が収められていました。
うん。こちらも、一部だけ引用するのは、
もったいないのですが、しかたない(笑)。
まずは、この文の最後の箇所。
「山も鉾も・・・かつがれ、曳かれるにつれて、
きわめてよく撓(たわ)む。・・・・
山鉾の構造を調べ上げた建築史家、近藤豊氏
によると、釘一本使わずに組立て、毎年きれいに
解体して広くもない収蔵庫におさめ、また翌年に
一から組立ててゆく祇園祭の山鉾の構造は、
一口でいえば『木造組立式、枘(ほぞ)差し、
筋違入(すじかいいり)、縄がらみ』とでもいうべきもので、
『全体的に変形の余裕を残した柔らかな構造』なのだ。
・・・・・
山鉾は、すべての装飾をほどこされた祭礼の日の晴れの
姿だけが美しいわけではない。組立の大工が縄がらみに
した木の骨組は、縄目の揃え方、からみの締め方まで、
みごとにととのった一糸乱れぬ縄扱いがほどこされている
ので、装飾布の下を・・・調べてみても、すっきりと、
見る目に快い整合だけしか見当たらないほどである。」
(p278~279)
装飾についての指摘も引用しなきゃ。
「山鉾には、見送(おみおくり)と呼ばれている装飾がある。
巡行のとき、目前をすぎる山鉾を名ごり惜しげに見送ると、
かならず人目に入る後方の装飾布を呼ぶのである。
これの反対がわ、前方の装飾布は前掛(まえがけ)と呼ばれるが、
浄妙山の見送と前掛は、本山善右衛門という人の作品である。
・・・・」(p276)
ここに、杉本秀太郎氏が
「いつも思いうかべる山」が取り上げられています。
「浄妙山という山だ。
治承4年、宇治川の合戦のとき、
源三位頼政の軍中に加わっていた三井寺の
衆徒筒井浄妙が、橋板をすっかり落とした
宇治橋の桁にまたがって奮戦していると、
あとから進み出た一来法師(いちらいほうし)が、
浄妙の頭上をとびこえて敵中に入り、勇名を馳せた。
浄妙山の風流は、一来が浄妙のあたまに左手を突き、
右手に長槍をにぎって、跳馬競技の名手のように
片手倒立回転をしつつある一瞬をとらえたものだ。
浄妙と一来の人形二つは、まさに意表を衝く形で
組合っている。浄妙山は人足に担われて烈しく揺れるのだが、
・・・甲冑をまとった人形によって実現した
人形師、金具師、指物師には、かれらそれぞれの・・・
技倆の冴えのほかに、・・しなやかなところが、
おなじ程度にそなわっていたはずである。
撓む技倆、ゆとりをとり合い、遊ぶ間隙をとり合って
いる技倆、そういう技術が浄妙山を・・しあげている。」
(p275~276)
はい。祇園祭を紹介するのは楽しいけれど、
わたしはといえば、それを見たことない(笑)。
ちなみに、「梅棹忠夫の京都案内」(角川選書)の
表紙カバーには、都錦織壁掛『山鉾巡行図』が鮮やか。
そして、「新編洛中生息」(ちくま文庫)のp262には
浄妙山の片手倒立回転の写真が臨場感いっぱい。