和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

徒然草の多種多様。

2020-02-25 | 京都
山崎正和著「室町記」をひらく。
はい。パラリ読み(笑)。

「・・室町幕府の200年が、日本に初めて真の
『都市文化』を成立させたと見ることができる・・」

(p235・「山崎正和著作集4」中央公論)
以下を引用。

「平安朝の貴族は京都といふ大都市を建設したが、
そこにはまだ、真の都市らしい多様な趣味の文化は
生まれなかった。

文化は貴族の閉ぢられたサロンのなかに育てられ、
価値の基準も彼らの排他的な好みが唯一のものさしであった。

平家一族はこの都会に武士の権力を持ちこんだが、
教養のうへでは逆にたあいもなく貴族サロンのとりことなった。

だが、南北朝の動乱は、この貴族的な伝統をも十分に残しながら、
しかしその上に武士から農民にいたる多様な階層の趣味を導き入れた。

吉田兼好の『徒然草』を読めば、いかにこの時代の感覚が
多種多様な趣味と倫理に向かって開かれてゐたかが明らかであろう。」

ここに、徒然草が出てくるのでした。
ああそうか。徒然草は、貴族サロン・武士・農民という
多用な階層の趣味へとひらかれた一冊として読めばいいのだ(笑)。

今度、徒然草をひらく時の、着眼点の楽しみがふえました。
そういえば、この本には徒然草をとりあげた2頁の文もありました。
題して『最初のジャーナリスト 兼好法師』。
うん。ここからも引用。

「名文の裏には、いかにも乱世にふさはしい生活の匂ひのする
知恵がちりばめられてゐる。たとへば彼にとって、
友とするに悪いものは第一に『高くやんごとなき人』であり、
続いて『猛(たけ)く勇める兵(つはもの)』『欲深き人』などが並び、
逆に良い友達の筆頭は『物くるる友』だといふのである。

兼好が何で生活をたててゐたかもよくわからないが、
おそらくその毎日はずいぶん不安なものであったと思はれる。
経済的な不如意もさることながら、
生活の中心が明確でないといふことは、
自分がはたして何者なのかといふ疑ひにつながるからである。

いふまでもないことだが、当時の観念のなかには、
まだ『随筆家』などといふ分類はなかった。
法師とはいふものの僧として偉いわけでもなく、
吉田神道の家につながりがあるといっても
神官として身を立てたわけでもない。
和歌は『四天王』のひとりに数へられることもあったが、
あいにく二条、京極、冷泉といふ伝統ある家柄の生まれではなかった。
結局、兼好は有職故実に詳しい学者として生きたのであろうが、
それすらも宮中に官職を持つ専門家として遇されたわけではなかった。

社会的にも精神的にもいはば浮草のやうな人生だが、
その不安がまた、兼好の好奇心を活発にしたとも考へられる。

文明論と生活相談を兼ね、国語問題と木登りの名人の
逸話が同居する『徒然草』は・・・・・・」(p320)

はい。今度「徒然草」をひらく時があったら、
楽しみです(笑)。


さてっと、
林屋辰三郎・梅棹忠夫・山崎正和編の
「日本史のしくみ」(中公文庫)をひらくと
まえがきに、
「この本はもともと・・・昭和46年に・・出版された」
とあるのでした。
山崎正和著作集には最後に書誌があり、
「室町記」の初出が
「『週刊朝日』(昭和48年1月5日~同年12月28日)
52回連載」とあります。

順番としては
「日本史のしくみ」という討論会のあとに
山崎正和の「室町記」が書かれております。

「日本史のしくみ」のあとがきを梅棹忠夫氏が
書かれているので、あらためてそこから引用してみることに。

「昭和44年の暮から、林屋さんのおさそいをうけて、
日本史についての討論会をやることになった・・・・
メンバーとしては、もう一人、山崎正和氏をさそって、
この共同討議に加わってもらうことにした。」

この「あとがき」の最初で梅棹忠夫は
林屋辰三郎氏の着想を指摘して、書きはじめられております。
そこを引用しておかなきゃね。

「歴史というものは、たとえば平安時代とか江戸時代というふうに、
比較的安定した時期を中心に書かれているものがふつうである。

源平の争乱とか幕末の動乱などの変革期は、
むしろ時代と時代との接点にあって、ひとつの時代に
区切りをつけるものというふうに見られている。

ところが見方をかえて、
変革期のほうに焦点をすえると、どういうことになるか。
変化と動揺こそは歴史の常態であって、そのあいだに、
わずかな安定期がはさまっているのだ、
という見方もできないわけではない。そういう見方で、
いっぺん具体的に全日本史を見なおしてみたら、
いろいろ新しいことにも気がついて、おもしろいにちがいない。

というのが林屋辰三郎教授の着想であった。・・・」

はい。
『変化と動揺こそは歴史の常態であって』という
着眼点で、いまげんざいを見てゆくために。



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