和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

吉田らしいなあ。

2020-02-02 | 道しるべ
副題が、「吉田昌郎と福島第一原発の500日」。
題名は、「死の淵を見た男」(PHP・2012年)。
著者は、門田隆将。

最近ユーチューブで、門田隆将さんが出演されてる、
たしか、「怒れるスリーメン」だったかでした。
そこで、今年3月に、その吉田昌郎氏を主人公にして
この門田さんの本を下敷きとした映画が封切られる
とのことでした。

うん。田舎に住んでいるので、
映画は見に行かないだろうなあ。
そう思いながら、
本棚からその本を取り出す。

映画はたぶん見にいけないだろうなあ。
それでも、ひとつ、気になることがある。

映画なかの、免震重要棟に、吉田氏の
座右の書が、置かれているかどうか?
それが、なんだか気になる(笑)。

門田隆将著「死の淵を見た男」の本の中の、
最後の方に、吉田氏の奥さんから聞いた話が
出てくるのでした。そこに、こんな箇所。

「確かに夫は・・・若い頃から宗教書を読み漁り、
禅宗の道元の手になる『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』
を座右の書にしていた。あの免震重要棟にすら、
その書を持ち込んでいたほどだ。・・・
夫は、お寺まわりが趣味で、いつも
生と死を考えていた。そう考えると、
あの事故に夫が立ち向かったのも、
それが『運命』だったような
気がしてならないのである。」(p345)

私は、その映画を見ないかもしれないけれど、
そして、見ない確率は高いのだけれど、
本からの引用なら、すぐにできる(笑)。
ということで、そのあとも、引用しておきます。

「大阪生まれの吉田は、中学、高校を
大阪教育大学付属天王寺校舎で学び、
東工大に進んでいる。
中学、高校時代は剣道部で過ごした。
父親は小さな広告会社を経営しており、
吉田は一人っ子である。」

「奈良市で寺院の住職を務めている杉浦弘道は、
吉田と高校二年、三年と同じクラスだった。・・・

『・・・・たぶん高二の時だったと思いますが、
私は吉田に【おまえ、般若心経を知ってるか】と
言われましてね。私はお寺の息子でありましたが、
当時、それに背を向けていた人間だったんです。
だから、お経など何も知らなかったんですけど、
ある日突然、【杉浦、おまえ、家が寺なんやろ。
それぐらい覚えとかな】って言われましてね。
いきなり、彼に般若心経を教えられたんですよ。
彼は、般若心経をそらで覚えてて、
私の前でスラスラと披露してくれました。
びっくりしましたよ。高二ですからね。・・・』

杉浦がこのことを思いだしたのは、
吉田が震災の一年五か月後、
2012年8月に福島市で開かれた
シンポジウムにビデオ出演した際、
現場に入っていく部下たちのことを、

【 私が昔から読んでいる法華経の中に登場する
〈地面から湧いて出る地涌(じゆ)菩薩〉のイメージを、
すさまじい地獄みたいな状態の中で感じた 】

と語ったことだ。
これをネットで知った杉浦はこの時、
ああ、吉田らしいなあ、と思ったという。

『・・吉田なら、
命をかけて事態の収拾に向かっていく部下たちを見て、
そう思うだろうなあ、と思ったんですよ。
吉田の〈菩薩〉の表現がよくわかるんです。
部下たちが、疲労困憊のもとで帰って来て、
再びまた、事態を収拾するために、
疲れを忘れて出て行く状態ですもんね。

吉田の言う〈菩薩〉とは、
法華経の真理を説くために、お釈迦さまから託されて、
大地の底から湧き出した無数の菩薩の姿を指している
と思うんですが、その必死の状況というのが、まさしく、
菩薩が湧き上がって不撓不屈の精神力をもって惨事に
立ち向かっていく姿に見えたのだと思います。

そりゃもう凄いなあ、と思いましたねえ。
部下の姿を吉田ならそう捉えたと思います。
ああ、これは、まさしく吉田の言葉だなあ、
と思ったし、信頼する部下への吉田の心からの
思いやりと優しさを感じました』」(~p348)


はい。私に、忘れられない言葉として、
ときに、この場面がおもいだされます。

3月に封切られる、その映画のなかで、
正法眼蔵が、免震重要棟に置かれて、
いるかどうか、それが気になる(笑)。




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