和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

ベニシアさんの京都。

2020-02-26 | 京都
古本で200円。ということで買いました(笑)。
「ベニシアの京都里山日記 大原で出逢った宝物たち」(世界文化社)。
写真もありますが、文章が主です。
カバー折り返しに略歴紹介がありました。

ベニシア・スタンリー・スミスさんはイギリス生まれ。
1950年生まれ。1978年より京都で英会話学校を始め。
1996年に大原の古民家へ移住。

文章のはじまりは、曾祖伯父、カーゾン卿が
二度にわたり世界旅行で、日本に二度訪れている。
ということからはじまっておりました。
そのカーゾン卿の京都を語る文章が引用されております。

「初めて訪れた京都については、こう語っています。
『この街は豊かな緑に包まれており、
その趣のある優雅な姿が山間に浮かんでいます。

夜明けに街全体が白い霧に包まれた時は、
寺院の重厚な黒い屋根が、まるで転覆した巨大な船が
海から浮かび上がってくるかのように見えます。
すると、もやの向こうから寺院の鐘が鳴り、
哀愁のある空気が徐々に広がってきました。

日没時には、どこまでも続く町家の格子窓から
温かい光がこぼれ、路上にゆらめいています。
 ・・・・・
町家からは温かい人の声や物音が聞こえてきます。
そして、路上を交差する大きな声や笑い声は、
上空へ響き渡るのです』

このようにカーゾン卿が本の中で書き残したことは、
私が38年前の1971年に初めて京都に到着した日に、
目にし、感じたことと同じでした。・・・」
(p20~21)

寺院の鐘が鳴り。町家の挨拶をかわす声。
物音には、戸のあけしめの音にまじって
物売りの声もあったのでしょうか?
「上空へ響き渡る」という、京都の音を
聞きとっている感性を、思います(笑)。

はい。パラパラ読みの本文からも
すこし引用。

「1990年頃、私は京都の百万遍の近くにある
『梁山泊(りょうざんぱく)』という料理屋さんに、
英会話を教えに行っていました。参加者は、
梁山泊主人の橋本夫妻とアンティークショップの
主人の田澤夫妻、それに京唐紙の工房『唐長』を
営む千田夫妻でした。個性的な六人との週に一度
の集まりは刺激的でした。・・・」(p49)

ちなみに、この文のはじまりは
「我が家の客間の襖が傷んでいました。
襖の前に座って、どんな襖紙を張ろうかと
思い巡らせていると、突然、千田堅吉さんと
郁子さんの顔が浮かんできました。お二人が、
襖や屏風に張る唐紙を作っていたことを
思い出したのでした。」

表具師の山次さんも登場します。

「山次さんは1983年、30歳の時に
表具師の修業を始めました。通常10年といわれている
修業期間を3年にして、独立したそうです。

西陣で生まれ育ち、実家は西陣織の仕事をしていましたが、
山次さんは表具に興味を持ち、この仕事を選んだのです。

独立してしばらくの間は、顧客を見付けるのが難しかったそうです。
日本家屋や伝統的な生活様式の減少により、
表具師の仕事は近年減っているそうです。
山次さんは、表具に使う古い材料を探しに
古美術のオークションに通ううちに、
外国人のコレクターや美術商と知り合うようになりました。
特に英語に自信があったわけではなかったそうです。
彼らと付き合ううちに外国人から仕事が入るようになり、
結局今の仕事のほとんどが外国からの仕事になって
いたそうです。アメリカの青年が二年間、山次さんの
もとで修業したこともありました。山次さんにとっては、
英語の修業になったということです。・・・」(p48)

う~ん。ベニシアさんと京都。
はい。古本200円分の情報はここまで(笑)。

ちなみに、写真・翻訳は梶山正。
その紹介には
「写真家。主に、自然、山岳写真を専門・・・
インドを放浪・・帰国後すぐに本格的な
インド料理レストランDIDIを京都で始める。
妻ベニシアはレストランのお客だった。・・・」

とあります。うん。写真がでしゃばらずに、
文章によく溶け合っているわけです(笑)。


コメント
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