「洛中巷談」(潮出版社・1994年)。
河合隼雄・山折哲雄・杉本秀太郎・山田慶兒。
この4人にゲストを加えての座談本です。
12回の座談がまとめられていました。
ゲストは時に、4人の中から選ばれたりで、
まず、ゲストがテーマにまつわる話をして、
そのあとに座談にうつる形式です。
いままで、持っていたのに、
この本を読めなかった(笑)。
京都という着眼点を得ることで、
スラスラと味わい読める楽しさ。
ここでは、吉田孝次郎氏をゲストにした回を
紹介してみます。
最初に吉田孝次郎さんの報告から
こうはじまります。
「私は昭和12年に京都の中京区、祇園祭りの
ただなかに生まれました。町内には北観音山
という曳山(ひきやま)があって、私は祇園祭が
戦後復興してから2年目の昭和23年以来、
ずっと囃子(はやし)をし続けてきました。
その間、昭和30年でしたか、浪人半ばで東京の
武蔵野美術学校へ行って、西洋画を学んで、
絵をかくようになったのですが、昭和47年に
12指腸を外してしまうということがあって、
京都へ丸腰で帰ってきました。それから
京都は染織品の懐がひじょうに深いところ
だということに気づいて、絵をかくかたわら、
それをずっと見続けてきました。」
こう語り、内容豊富なのですが、ここでは、
その最後の方に、祇園祭の音がでてくる、
その箇所を引用してみます。
河合】 吉田さんはずっと囃子をやって
こられたそうですが。
吉田】 ・・・・・おもしろいことに囃子の笛の
メロディーは壬生念仏狂言とまったく同じなんです。
ちょっとやってみますかなあ。(1分ほど口笛を吹く)
河合】 ええ音やなあ。
吉田】 これは囃子のベースになるメロディーで、
各山鉾に共通しています。それにその町内独特の
節回しが若干加わる場合があるわけです。
山折】 それにコンチキチンが重なるわけですね。
吉田】 はい。6~8丁の鉦(かね)がリズミカルに
大きな音で重なり、2丁の太鼓がそれをリードする。
壬生念仏の場合は、鰐口(わにぐち)と太鼓の単調な
ガン、デンデン、ガン、デンデンとのみ囃します
・・・・・・・
古い中世芸能の伝統があって、それが念仏狂言にもなり
祇園囃子のメロディーにもなったように思います。
山折】 中世的な鎮魂ですね。
吉田】 まさにそうです。
河合】 ベースやと言われたけれども、
いまの笛のメロディーは日本のいろんなところに
入っているという感じがしますね。
あれがちょっとずつ変わっている。能でもそうでしょ?
・・・こういうのが能へ入っていったと思うんです。
吉田】 同じ能管を吹くのでも、祇園囃子ではほとんど
右手だけの、平易な奏法でいけるんですが、
能楽のほうはひじょうにいじめたというか、
不可能を可能にしたような部分があります。
複雑な手の動きがないと曲にならんのです。
(以上p133~135)
う~ん。祇園祭の絵画的側面とか、田楽とか
さまざまに語られてゆくのですが、惜しいけれど、
ここでは、祇園囃子だけに限って引用。
山田】 祇園囃子に楽譜はあるんですか。
吉田】 ないんです。あるのは鉦の譜面だけで、
これは●と▲をずうっと縦に並べたものです。
山田】 それはたたく強さを示しているんですか。
吉田】 いや、どこをたたけという指令だけで、
テンポとか強さとかいうことは一切ない。それは
そのときの気分でどうでもせいちゅうことです。
山田】 ほほう。
吉田】 それでは伝承がむずかしかろうというので、
五線譜にとったことがあるんです。ものすごく金かけて、
百科事典みたいな大きな本ができた。ところが、そうすると、
決まってしまうわけですわ。こういうぐあいにやれと。
それはもういちばんの間違いなんですね。
河合】 ほんまにそうやね。
吉田】 好きなように、臨機応変に、伸び縮み
どうでもせいというのが正しいんです。
山田】 五線譜のとおりに演奏したら
全部おもしろ味がなくなるわけですね。
山田】 はい。
河合】 ・・・・・・・
武満徹さんなんかと話しとったら、三味線やらでも
ほんとに演奏できる人はものすごく少なくなってきた
と言って残念がっていました。みんな五線で習うから、
それに縛られてしまって、微妙な音階をもってないと。
吉田】 乱暴に言いますと、五線譜になると
耳がなえてしまうんじゃないですかね。
河合】 そうそう。音は無限平面なんですよ。
そのうちの一点を取り出すと、ほかにもある
ということがわからなくなる。・・・・・
声楽でも完全に平均律で歌っている人って
だれもいないと思うんです。そんなもん、
ものすごく気持ち悪いわけです。
三味線に楽譜はないし、尺八の譜面は呂律(ろれつ)です。
・・・・・・・・・
(以上p138~139)
はい。この吉田孝次郎さんの回の最後も引用。
山田】 謡の本に書いてある記号は
一種の楽譜になってるんですか。
河合】 節回しでしょう。
吉田】 そうですね
・・・・・・・・
山田】 そういう意味ではジャズというものは
本来の姿に返ったわけですね。
河合】 ええ。だからあれは高踏的な人は
全然受け入れなかった。
杉本】 芸術扱いしてもらえなかった。
河合】 いまはそれをみんなもう一遍考え直していますね。
(p140)
この本のあとがきは、4人がそれぞれ短文を書いておりました。
その最後が河合隼雄さんでした。そこからも引用。
「関西弁の『オモロイ』は、
単に、『面白い』というのよりはニュアンスがあって、
硬い言葉に翻訳すると、いろいろな言葉を複合したものになる。
私は児童文学が好きなのだが、いつか、
『本を選ぶのにどんな規準で選んでおられますか』と訊かれ、
『オモロイのは読みますが、オモロナイのは嫌です』と言うと、
この方は残念ながら標準語の世界に住んでおられたのだろう。
『児童文学は、人間の精神に役立つところが大きいもので、
そんな興味本位で読むべきものではありません』と
きついお叱りを受け、
『ワー、それオモロイ考えですね』と
思わず言いそうになったのを、ぐっとこらえて
神妙に恐縮していた。」(p256~257)
はい。『神妙に恐縮』することなく、
奔放に巷談が飛びかい
『きついお叱りをうけ』そうな本です(笑)。
この本の装丁は、田村義也。
カバー、表紙、扉は「祇園新地」の古絵図。
あとがきの最後では、河合隼雄さんが
「このような『オモロイ』企画をして下さった
『潮』編集部の吉田博行さん、これを書物にするに
力をつくされた背戸逸夫さんに、感謝の言葉をおくりたい。」
とありました。本の装丁の結構とともに、
そのオモロさを、堪能できました(拍手)。
うん。この本のはじまりに
編集者敬白とあって「この本の読みどころ」
という2頁の挨拶が載っておりました。
蛇足ながら、その2頁目をすこし引用。
「日本人を、特殊な奇種としてではなく、
かなりまともな人種として遇しようという心性が、
話の中を流れている基底音です。
・・・・・・
まずは、はんなりとご堪能のほどを。
でも、巷談です。それも、洛中のです。・・・
ゆっくりと時間をかけた話に、
浴衣がけのまま、身をまかせてください。・・」
この前口上からはじまる、洛中座談です。