今日の産経新聞一面に「外山滋比古さん死去」の見出し。
「96歳・英文学者、正論メンバー」と小見出し。
「7月30日午前7時18分、胆管がんのため東京都内の病院で
死去した。96歳。愛知県出身。・・・」
うん。亡くなったのだ。
晩年のエッセイを、古典落語の志ん生の高座を
聴いているような気分で読んでおりました。
同じ話でもどこか新鮮な箇所があったりする(笑)。
本棚から「思考の整理学」(ちくま文庫)を出してくる。
パラパラとひらきながら引用してみます。
「論文を書こうとしている学生に言うことにしている。
『テーマはひとつでは多すぎる。すくなくとも、
二つ、できれば、三つもって、スタートしてほしい。』
きいた方では、なぜ、ひとつでは『多すぎる』のか
ぴんと来ないらしいが、そんなことはわかるときになれば、
わかる。わからぬときにいくら説明しても無駄である。
ひとつだけだと、見つめたナベのようになる。
これがうまく行かないと、あとがない。こだわりができる。
妙に力む。頭の働きものびのびしない。ところが、もし、
これがいけなくとも、代りがあるさ、と思っていると、気が楽だ。
テーマ同士を競争させる。いちばん伸びそうなものにする。
さて、どうれがいいか、そんな風に考えると、テーマの方から
近づいてくる。『ひとつだけでは、多すぎる』のである。」(p43)
『セレンディピティ』の効用も、外山滋比古氏に教わったのでした。
「昔の学生が訪ねてきて、脱線の話がおもしろかったと言う。
教師としては複雑な気持ちになる。・・・・・だいたい、
学生というものは、授業、講義のねらいとするところには
興味をもっていない。年がたてば忘れてしまうのは当然。
・・・・それに比べて脱線には義務感がともなわない。
本来は周辺的なところの話である。それが印象的で
いまでも忘れられないというのは、教育における
セレンディピティである。教室は脱線を恥じるには及ばない。
それは学生のことだが、教師にとっても、脱線した話を
しているうちに、それまで、一度も考え及ばなかった問題が、
ひょっこり飛び出してきて、あわてて、話を停止して、
ノートのはしに心覚えを書きつけるということもある。
脱線がいつもそうだというのではないが、
時にはセレンディピティをもたらしてくれる。
教師も脱線を遠慮するには及ばないのである。
われわれは、そういう気楽な話のうちに多くのことを
自からも学び、まわりのものにも刺激を与える。」(p70~71)
はい。教師の脱線話が好きだという下地があるせいか、
私は司馬遼太郎著「以下、無用のことながら」なんて本に、
ついつい、興味をそそられるのかもしれないなあ。
あとは、外山滋比古氏と図書館ということが思い浮かびます。
ちょっとひらいた本からの引用。
「東京文理科大学の学生になり、戦争中のことだから、
たえず勤労動員で重労働をさせられたが、勤労も授業もないと、
かえって向学心が高まる。英文科には大学図書館とは別に
図書室があり、専門書が数千冊並んでいた。ここに
ケンブリッジ学派といわれる学者たちの、当時としては
最新の文学研究所が揃っていた。文学概論、批評論理などでは、
当時、日本でこれにまさる蔵書のあるところはなかっただろう。
私たちが学生だったころすでに亡くなっていた
山路太郎という助手が、ケンブリッジ学派の俊足であった
W・エンプソンの日本における最高の学生だったからである。
私はここで、文学理論、批評関係の本を読みあさった。
私がその後した仕事の源はここにある。」
(p53「知的生活習慣」ちくま新書)
外山滋比古氏の日本語の仕事を、少しは読み齧ろうとしたのですが、
当然ですが、私には歯がたたなくて、そのままになっておりました。
うん。外山滋比古氏が亡くなってしまった。